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よく停滞、時に更新、きままな読書系ブログです

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村上春樹を読む 11(上)

前回は、
ワタナベが直子をキスギの元に届けた。
→直子を自殺に追いやった

というところまで。今回はその理由を考察してみる。



◎キスギの元に届けた理由
理由1
・『ノルウェイの森』は夏目漱石の『こころ』が下地になっている。
→『こころ』は先生がシズを主人公に渡す物語
→過去の引き受け+シズ

・青年による手記
「世間をはばかる……」という文面により世間に晒した(公表した)ことが分かる。
ちなみに小森陽一は「子供がいなかった頃……」という文から青年はシズとの間に子をもうけた
という解釈もしている。

理由2
『こころ』はホモソーシャルの作品(ちなみに『それから』も同様)
女性嫌悪(ミソジニー)の表現が入っている。
(注:ホモソーシャルとはセジウィックによる概念。
ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする男性同士の
擬似同性愛的な強い親愛・連帯関係。
それ自体、同性愛と見まがうような強い接触・親愛関係でありながら、同性愛者と女性を
嫌悪・蔑視して排除し、異性愛男性同士で閉鎖的な関係を構築する。
例としては、軍隊や体育会系などに見られるマッチョな関係。参考:はてなダイアリー)

ミソジニーは男性だけが持つものではない。「女だから……」「男だから……」と思った女性も
ホモソーシャルの思考を持っている。

『ノルウェイの森』にもホモソーシャル的表現がある。
ワタナベとキスギとの会話がそれだし、二人の関係もそうだ。
上巻P45「あるいは……」
上巻P46「どうしても負けたくはない」
上巻P234「弱い面をみせない」→直子は「知っている」と返す
上巻P236「弱い面も好き」

ホモソーシャルの世界では、女とセックスをこなす回数が多いほど強いとみなされる。
『ノルウェイの森』では永沢さん。

近代社会において、
男は社会的権力の誇示のために美人を得る(見せびらかす)
女は金持ちと結婚したがる――美人の証、地位の上昇

男同士の競い合い、二人の間に調停(プレゼント)が必要
→女を譲る

『ノルウェイの森』において、キスギは死ぬ前に自分の力を誇示し
調停としてワタナベに直子を手渡した。
しかし直子はワタナベの男になることを拒んだ。
上巻P21「愛してなかった」
上巻P61「誰かのぬくもり」
上巻P82「触れるのに拒んだ」
上巻P206「抱かれたかったの」20の頃

心はキスギ、だが直子は体を許さなかった。
体はワタナベ、だが直子は心を許さなかった。

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村上春樹を読む 11(下)

◎直子の心がずれていた理由
母のような関係――肉体関係を許したら
上巻P262「いい子だから」
→直子もワタナベも望んだわけじゃない肉体関係。
現にセックスは一回限り。

直子はワタナベと再会してからも、殺して欲しかった。
下巻P19どうして抱いたのか――あの晩死ぬはずだった
『風の歌を聴け』の「僕」の彼女が自殺したように。

下巻P19~21
「忘れないで欲しい」「覚えておいて」
→死にたかった。あの晩死なせてくれないなら殺して欲しい。
                  ↓
大人になって責任を取る。自殺させるように仕向ける。ではその方法とは?
→直子よりもミドリを選ぶ
下巻P208「決めてたじゃない」(レイコさん)
レイコにも分かっている=直子にも分かっている

ワタナベはもう一人ではないと悟るから直子は自殺をする。
→自殺後、ワタナベは引きずって生きている。
――形見の服を着たレイコと寝る(この場合レイコは直子の分身)
                  ↓
封印していたセックスを行うことで
→直子と別れる
→キスギの元に送ってやった


◎おまけ(パロディ的付け足し)
酒井英行の『ノルウェイの森』論
施設では、互いに助け合う――レイコとも互いに助け合う

レイコの分身としてセクシャリティを回復させた。
→一方的ではない。レイコもワタナベから何か取っていった。
→しわ――レイコさんの女性器(下巻P281)
ワタナベはアイロン掛けが得意→レイコさんのしわの伸ばしてあげた。


以上、全11回が「村上春樹を読む」という講義の内容でした。
このように言葉を拾ってそこから分析するという方法は斬新でしかも参考になった。
大学の中でもかなり有意義になった授業のひとつでした。
ちなみにわたしはこのテストで「優」をいただきました。
そういった意味でも教授ありがとうございました。

でも一番感謝したいのは、構造分析を通して本の読み方を教えてもらったことです。
このブログにも、構造分析の手法を取ったレビューをいくつか書いてます。
学科こそ違えど、この教授の授業を受けてかなり良かったです。
石原千秋教授本当にありがとうございました。

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村上春樹を読む 10(序)

注:
・これは大学の講義を元にして作ったものです。自分が考えたわけではありません。
・ページ数は旧版と新版がごっちゃになっています。(後々、訂正する予定)

今回から『ノルウェイの森』です。

本論に入る前に教授は2点困ったことがあると言った。
1.朗読しにくいところがある。
(これはもちろん性描写でしょう。確かにw)
2.でたらめな小説だっけ。
(詳細不明。ノートにこのように書いてあるが理由を書いてなかった。
教授はこういう事をわけもなく言わないのだが。)

◎この本の特徴
・帯を代えたらヒットした
『ノルウェイの森』の担当編集者が立案。クリスマス前に金の帯にしたら大ヒットした。
上巻:どうしても書きたい/今までと違う小説
下巻:限りない喪失と再生/100%の恋愛小説

・単行本にあとがきがある(村上春樹の著作は彼自身によるあとがきがない)
文庫だと『蛍・その他の短編』に収録。

◎評論家の評価
当時の評論家は「『ノルウェイの森』は100%の恋愛小説ではない」という評価を下した。
だが、恋愛小説の定義とはいったい何だろう? そんなものはあるはずがない。
かつて小林秀雄が志賀直哉の『暗夜行路』を恋愛小説と評価したことがあった。
志賀直哉は「意外だが拒否はしない」と言ったという。

当時の評論家の評価は「恋愛小説とは……である」という固定観念に縛られたもので、
注意しないといけないものだ。

ではなぜ評論家がそういう評価を下したのか具体的に見てみると、
その根拠は、主人公のワタナベが自閉的だからというものだ。
ワタナベは心を開いていない、他者と結びついていない、だからこれは恋愛小説ではない
という評価だった。
(注:「自閉的」という言葉は差別語ではない。「自閉」とか「自閉症」だと差別語になるが
表現として「自閉的」という言葉を使わせてもらったと教授は直後に説明)

しかし、恋愛に一つの型などない。心を開いて、心で交わるものだけが恋愛小説ではない。
ワタナベのような主人公の形もあり、であろう。

ここまでが前置き。次から本論です。

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村上春樹を読む 10

◎ワタナベが書いている『ノルウェイの森』
・心を開くことができない主人公
・作り方に批判
→『風の歌を聴け』以上に、生と死が軽すぎる。
               ↓
『ノルウェイの森』は37歳の主人公が過去の回想を書いた小説である。
生と死を軽く書いているのは37歳のワタナベであって村上春樹ではない。
               ↓
評論をするなら37歳のワタナベを論じる形でなくてはならない。


◎37歳のワタナベはなぜ軽く書いた?
・再生という目的
→自閉的な37歳のワタナベが生と死を引き受けることができない
回想という形を取って出発しようとしている。

教授は漱石を研究している方なので、『ノルウェイの森』を『こころ』のパロディと評している。
夏目漱石の『こころ』も「私」という主人公の手記で構成されている。

上巻P12 「僕は……なのだ」と37歳のワタナベが書いている。
→何を理解したのか、問題設定があってもよい。

・小説の終りとして下手
→場所が分からない終わり方は、小説のお決まりのパターン

20歳のワタナベは居場所が分からなかった。そのことに37歳のワタナベは気付いている。
それを再確認しているが、結局再確認できなかった。
             ↓
『ノルウェイの森』は主人公がまったく成長していない。(自閉的な理由)
上巻P60 「たぶん僕は」
下巻P125、130、189、246「本質的に自分」

ワタナベ自身も自覚しているし、周囲も分かっている。
自閉的な性格をさらけ出している。

・物語があっても成長につながらない
→他人を受け入れない
→堕落も成長もない

そのまま直接的に自閉的だと書いている。

・構成
20歳のワタナベも37歳のワタナベも変化していない。
→自閉的という構成
               ↓
文学論として――言葉を拾ってもまだ幼稚である主人公


◎自閉的である論拠
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で地図が出てくる。
地図は方角を通して宇宙と関わっていた。

『ノルウェイの森』にも地図が出てくる。
突撃隊は地図を書く仕事をしたいから国土地理院に行きたがっている
ミドリは地図の解説を書くバイトをしている。
               ↓
二人とも仕事にしている(しようとしている)
一方ワタナベは最後ミドリの家に行こうとするが行くことができない。
→地図を通して、世界と関わりがもてない人間
(上巻P132に地図のバイトの描写がある)
               ↓
地図に開かれていない主人公。しかし、直子の所へはたどり着ける。
→心を病んだ場所のみたどり着ける
→ワタナベの心の在り方


◎ワタナベが唯一したこと
ワタナベは何もしていないのか?(自閉的であることを受け入れていいのか?)
→主人公の周りで物語が展開している。しかし変化はない。

ワタナベはたった一つのことをした。
→直子をキスギの所へ届けた。
=直子を自殺に仕向けた
               ↓
主人公を考えるポイント、出発点になる。

今回はここまで。

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村上春樹を読む 9(上)

◎「私」のアイデンティティ
どのようにして時間を空間に変換するのか。そして空間とはどのようなものなのか、
アイデンティティはそれらの中でどのように規定されるか。

時間的側面からみたアイデンティティ。過去―現在―未来の自己が同じだと
確信している状態。
空間的側面からみたアイデンティティ。他者・社会から承認されること。
→どちらが欠けてもアイデンティティは不安定になる。アイデンティティを維持することは
それなりに大変な作業だ。
「僕」は自己を守ろうとし、「私」はアイデンティティの時間的側面のみで成立させようとしている。
「私」はモノとしての時計と同じように生きようとしている。

時間の法則(物理的時間で成立)にアイデンティティをゆだねる――主観的時間によって
「私」は私であることをゆだねている。
→人間性を削ぎ落とした時間で「私」のアイデンティティは成立している。10月3日で
区切られているのは偶然ではない。
「私」が死なない理由――人間ではなく、ほぼ時計だから。

◎アイデンティティの個別性・不確かさ
博士は解読できる⇔深層心理(解読できない、統御できない)はブラックボックス
             →人間の根源(フロイト以降)
             →自己は思い通りにできないもの
             →本当の主人公(理性は主人公ではない)①
             +
             博士が考える深層心理
             →偶然の産物・ブラックボックスが変化したもの
             →思い通りにならないものに左右される②
             ↓
             ①・②の二重に隔てられることで自分自身が主人公になれない

◎I―Me
I(主体としての自分)=自我 Me(客体としての自分)=見られている自分
IとMeが直接対話している状態を内省と呼び、MeをIが過剰に感じている状態を自意識過剰
と呼ぶ。
自意識を持ちすぎている人は常に他人の視線を気にしているので、他者に合わせすぎる
人であり、自意識がなさすぎる人は場を乱しやすい人だ。

他者の視線を受けたIは深層心理が働いている。
「ハードボイルド・ワンダーランド」:表層的偶然性/ブラックボックスの変化
博士によると、アイデンティティを持ちつつ秩序を保たないと、シャフリングできない。
→「私」シャフリング可能+死なない。何故?
・「私」は自己の殻に閉じこもっている、社会的側面を持たないから(アイデンティティが不安定)
博士の主張
他者の視線はブラックボックスの変化(偶然)に影響を持っている。
「私」円環構造がはっきりしている→「世界の終わり」の構造につながる。
(つづく)

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