Reading Tour

よく停滞、時に更新、きままな読書系ブログです

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一期一会のおもてなし

談話室滝沢
31日に閉店するということなので
早速行ってみた。

行った場所は中央東口店。
15時頃に行ったけれども、満席で
入れず。でもここに来るために、
新宿に来たのだから、帰るわけ
にはいかない。店内で待つことに。

……待つこと15分。奥の禁煙席に
通されたけれども、途中、鯉が
泳いでいるところを通る。何とも
不思議な空間。1300円の
ブルーベリーヨーグルトとケーキ
セットを賞味。時間が時間なだけに、
いい感じのおやつだ。

ふと、見回して客層チェック。おばちゃん
と中年リーマン、そして自分みたいな
ミーハー層の3強がほとんどを
占めていた。もう少し前に知っていれば、本当の滝沢の雰囲気を味わえたんだろうな。

滝沢で黙々とESを書く。31日までに提出しなきゃいけないから、バシバシ埋めていく。
一息ついたところで、目に入ったのがこぶ茶のメニュー。無性に飲みたくなったので、
注文。美味美味。こぶ茶を運んでくれた後、ぬるくなっていた水を取り替えてくれた。
なんたるお持てなし。

結局3時間ほどおじゃましたけれども、とても居心地が良くて3時間経っていたとは思え
なかった。会計を済ますと、階段まで「滝沢」さんは見送ってくれた。ホスピタリティ最強。
階段を上りつつ、会計の際、もらった謝恩券を財布にしまう。外は新宿の喧噪に溢れていた。
いつも通りだ。「滝沢」だけが違う空間。ふと気づいたら滝沢にもう一度行きたい自分が
そこにいた。でも、もう明日で閉店するんだよなぁ……。独特の雰囲気のある店が消えてしまう
のは何とも悲しい限りです。長い間お疲れ様でした。

以下、気づいた点
・注文時に本当にメモを取らない
・無駄に厚い紙お手ふき
・みんな名札が「滝沢」
・水道水を出していない
・確かに未亡人ぽかった(100%違うけど)

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あぁ、よかった

つぐみちゃん戻ってきたみたいですね
娘が帰ってきました。

いやぁ、本当に良かった、本当に良かった。

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微力ながらも協力

つぐみ、どこにいるの?
仙台で11歳の女の子が3月16日から行方が分からなくなっているそうです。
早く見つかれば良いなぁ。少しでも多くの人に知ってもらうためにもTB。

以下詳細
小学5年生11歳の娘が3/16から行方不明になっています。
平成17年3月16日水曜日、夕方、仙台駅前LOFT近くで友人と別れたあと、自宅に戻っていません。
このとき、家出をしたいと言っていたそうです。
警察や学校の先生なども気にして探してくれていますがまだ見つかりません。
立ち寄り先もなく、行方が大変心配です。

名前は羽田つぐみ。当て字で亜魅と書くこともあります。
身長150センチ弱、体重40kgくらい 色白でどちらかというと痩せ形、黒髪で短めなストレートヘアで多分お化粧をしています。
小学5年生にしては大人びて見えるかもしれません。
当日の服装は、ベージュのコート、グレイのチェックのミニスカート、焦げ茶のロングブーツ、ペンダントやイヤリングなどのアクセサリーを身につけていました。
額から左眉にかけて縦に子供の頃怪我をした傷跡が薄く残っています。

お心当たりの方は、最寄りの交番・派出所・下記連絡先までご連絡ください。どんな些細なことでもけっこうです。
どうかよろしくおねがいします。
仙台南警察署 生活安全課 022-246-7171
haneda@harurun.net


追記 「つぐみ、帰っておいで」
娘さんへのメッセージが追加されていました。
まだ見つかってないのか……。
早く見つかりますように!

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「甘え」の構造/土居健郎

土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂

「甘え」という概念は日本特有のものらしい。
感覚としてはto ask と to rely on の中間的な意味。
そうした前提のもと、徹底して「甘え」について考察している。
例えば義理人情も「甘え」に根ざしたものだとか天皇制も「甘え」になる、
「甘え」は相手との一体感を求め、当てにするものなどなど、日本人の
外界認識についてこれでもかというぐらい語り尽くしている。

おまけに、論理的にしっかりしているのでさくさく読める。図書館の本じゃなければ、
線をいっぱい引いていただろう。

中でもおーと思ったのが、同性愛的感情=甘えという箇所。ここで言う同性愛はゲイやレズ
ビアンといったものではなく、プラトニックラブ、平たくいえば師弟愛や同性同士の友情と
いったもの。それがどうして「甘え」になるのかというと、師弟愛や友情は一過性にすぎない
感情であって、人の根本的な淋しみを癒すことができないからだと。同性愛的感情を異性愛
よりも優先するのは、不幸にするだけだと。もしも、そっちを優先させたいなら、自己について
の真実と孤独の淋しみに堪える覚悟が必要だといってこの項を締めている。

ごもっともな意見です。プラトニックラブでは、どうしても救えない部分がある。異性じゃないと、
救えないものがある。すぐに思い浮かんだのは、愛しさからくる抱擁(hug)ってやつ。師弟愛
とかじゃ確かに補えないよなぁ、これ。(とはいえ、度を過ぎるとハグも一体感を求めているもの
になり、「甘え」になってしまうから注意が必要だけど)

要するに、恋愛ってとことん大事だね、と土居さんは言ってるのだ。
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オレ様化する子どもたち/諏訪哲二

喫煙してても喫煙を認めない子ども、カンニングしても認めない子ども、
授業中私語を注意しても逆ギレする子ども……今までの子どもとは
違う子どもたちが80年代以降登場してきたと著者である諏訪さんは言う。
その背景に諏訪さんは社会構造の変化を挙げ、大まかに3つの区分
「農業社会的」「産業社会的」「消費社会的」子どもとして説明している。

もちろん現代っ子は「消費社会的」子どもで、「等価交換」を主張するのが
特徴らしい。しかもその場合、相手と「等価」になろうとせず、自分と「等価」に
「させよう」とするスタンスを取ろうとする。たとえ相手が目上の人であろうと
誰であろうと。(年下に対して言及されていないので、どんなスタンスを取るかまでは分からない。
気になるけど)要するに、いかなる場合でも、自分の立つ位置を変えようとしないのである。
自分の世界でしか判断しない、主観的な子どもたちといっても良いだろう。大学生でも年下に
なればなるほど、この傾向はある。中高生になるともっとなのだろう。

ある年代以上の人ならこういう経験があるはずだ。違う友人(例えば中学時の友人と
高校時の友人)たちと一緒になって話をする時、自分がどう振る舞って良いのか
分からなくなるという経験。基本的に友人の接し方は同じだけれども、若干違う立場が
ある。その違いをどう扱うかで迷いが生じてしまう。

そういう感覚を持っていないのが現代っ子こと「消費社会的」子どもである。自分と同じ
スタンスにさせるのだから、権威なんか通用しない。「俺ワセダだぜ」とか「オレ慶応」とか
言っても「ふ~ん、そうなんだ」で終わるのが関の山だ。

自分のスタンスを固持するのは、問題ありと自分は思う。なぜならものごとを客観視
できないからだ。自分はこういう性格で、こういう趣味を持っていて、こういう友人がいて
こういう××……という風に客観視できない人間はどこかズレを持ってるはずだ。その
ズレをうまく是正するのが娑婆なんだけれども、「オレ様化」している子どもはすべての
基準を自分にしてしまっているので娑婆なんて関係ない。大学生の場合、就活時に
「自己分析」という客観化するトレーニングがあるので、幾分是正される。しかし、
中高生は自分と向き合う機会なんて中々ないだろう。あるとするなら受験ぐらいか。

自分自身を客観視できるか否か、この差はかなりでかいと思う。「オレ様化」した社会になると、
客観化できる人はものすごくストレスフルな環境に置かれるだろう。悲しいことに今の社会構造
はますます「消費社会」へシフトしている。より「オレ様化」現象は深くなると思われる。
何とも暗澹たる思いだ。

内田樹さんが『オレ様化する子どもたち』の書評をしている。とてもわかりやすく噛み砕いた
説明をしていらっしゃるので、あちらを見たほうがより示唆に富んだ「知」を得られるだろう。
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人はひとりで生きることができない

ここ連日と「ひとりで生きること」について熱弁をふるっているわけですが、
逆のことも書こうとふと思ったんで、思いつくままに。

人はひとりで生きることができない。大昔から今に至るまでずっと。
ことばもほとんど通じない、二足歩行の動物だった頃、とにかく人は連帯して生活していた。
(連帯しなきゃ野垂れ死にだろうから)
それこそ男は狩りに女は採取に、の世界。絶えず飢餓状態だったろうから、それこそ
死ぬ気で獲物や海、山の幸でも採っていただろう。
そんな時、俺らしさを求めてとか本当の私を求めて、なんて意識など生まれるはずもなく、
連帯していかなきゃ生き延びられない時代だっただろうと思います。

でも、集落ができたことで集団のアイデンティティは形成されているはずで、
「Aの村に負けるか!」とB村の人は思うことで、Bの村の結束を強めていたと。
これは今でも当てはまることで、いちゃつきバカップルっていうのを連想して
くれればよいかと思います。「俺たち私たちこんなに愛し合ってるのよ」と
周りに見せつけることで、二人のアイデンティティを強めていくわけです。

群れて生活する→集団を維持する動機付けが必要→集団のアイデンティティ形成→
利益が大きくなる→ゆとりを持てる&裕福になる→自分について考える余裕ができる
→個人のアイデンティティ形成
という流れで、集団のアイデンティティから個人のアイデンティティへと人は考えを移行
していきます。つまり余裕ができればできるほど、人は自分のことを知ろうとする方向へ
向かう。突き詰めれば哲学まで行き着くだろう。

アイデンティティ論はここまでで押さえておくことにして、前提として人は連帯して
生きている。今だって、一見ひとりで生きているような人でもコンビニ行って買い物してる。
その買い物の生産過程の中に人は必ず介入してくる。少なくともトラックのおっちゃんが
コンビニに運んでるし、管理しているレジの人もいるし。その時点でひとりで生きてないわけで。

そういった意味で、人はひとりで生きていくことはできない。
アトムとしての個人(根無し草としての個人)が介入してくる現代から、
状況はねじれてくるわけだが、今日はここまでということで。

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反自殺クラブ-池袋ウエストゲートパークⅤ/石田衣良

石田衣良『反自殺クラブ-池袋ウエストゲートパークⅤ』文藝春秋

IWGPの第5作目。ここまでくると安心して読んでいられる。
トラブル発生→マコトの友人に連絡→トラブル解決→大団円
という流れが確定している。平成の水戸黄門といってもいいぐらい。

話が面白い一方で石田衣良さんは大切なメッセージを
投げかけている。第一作の頃から、それは変わっていないし、
何よりも反自殺クラブの帯に端的に示されている。

「群れて死ぬよりひとりで生きよう!」
IWGPはずっとこのメッセージを発し続けているわけで、実際マコトは
何度もタカシにGボーイズに誘われている。けれども、マコトはすべて断っている。
群れるっていうのはカッコ悪いと思っているわけで、ひとりで生きることのかっこよさと
充実さを暗に示している。
皮肉なことに、現実ではカラーギャングが流行ってしまったが。

一緒にいること=友情ではない、実際マコトとタカシの友情は断ったからといって崩れては
いない。この本の主な読者層は10~20代だろうから、早く友情≠一緒にいることに気づいて
自分で生きぬけ(自分で道を切り開け)! と石田さんはメッセージを投げかけているのだろう。

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星々の舟/村山由佳

村山由佳『星々の舟』文藝春秋

直木賞受賞作。村山由佳さんの小説を初めて読んだのが
星々の舟だった。えらく重厚な作品でおーっと思った。ちょうどこの頃、
人間関係でどうにもうまくいかなかった時期で、これを読んで
すうっと心が軽くなったのを覚えています。それはここの部分を
読んでのこと。


謝ることで気が済んでしまって、自分のしたことを忘れるくらいなら、いっそ謝らんで後悔をかかえとったほうがまだましというものだ。

落ち込んでいた時に、今までは立ち直ろう立ち直ろう……そう思っていた。でもそれは
自分に無理を与えていて、心に違和感を持って燻っていた。たとえ嫌な感情でも、心に
飼い慣らす、そんなちょっとした意識の変化でずいぶん楽になれた。

嫌な感情から目を背けるのは簡単だ。でも根本的な解決にはならない。だからといって
友人たちにぶっちゃけても、気休めにしかならない。嫌な気持ちときちんと向き合う、
それを抱えながら生きていくのも、悪くはない。その時はきついだろうが、いつか好転し
それが糧となる時が必ずくる。

『星々の舟』が良かったので、他の作品を買って読んだけれども、バリバリの青春小説
を書いてる人とは思わなかった。『おいコー』シリーズを集めるのが正しい村山ファン
だろうけど、流石に『おいコー』シリーズは恥ずかしくて読めない。どうやら読む時期を
逃したようだ。


追記:06年1月に文庫化されました。

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午後の蜜箱/稲葉真弓

稲葉真弓『午後の蜜箱』講談社

小説しかできないことって何か? ずばり、文体や構成では
ないだろうか。もちろん、ストーリーで魅せることも可能だけれど、
映画や演劇、TV等でもストーリーで魅せることは可能だ。
巧みな日本語、染み入る文体、うなるような構成、それらを用いて
魅せるのが小説の醍醐味と思っている。

稲葉真弓さんは現代作家の中で、最も優れたきれいな文体を書く
作家だ。こんな文体書けそうで書けない。単純だけど、情緒がある、
ゆえに暖かい。『午後の蜜箱』は3つの短編からなる小説。
どの作品にも共通したテーマがあり、それは「女性のゆたかな孤独」というもの。はっきり
言って楽しい小説じゃないです。ですが、読み終えると充実感のある小説です。

中でも逸品なのが「ヒソリを撃つ」という作品。離婚したあと、一人で淡々と生活している
主人公が偶然高校の時の同級生と再会し、その後二人で一緒に行動するようになるが、
ある時彼女の方に……とストーリーが続くけれど、重要なのはストーリーじゃない。
「ヒソリ」という感情がとても深くて、思わずうなってしまった。

 無理して人とつきあうより"ヒソリ"がいい。過剰に期待するよりも、人との距離があった方がいい。我慢するよりお気楽な人生がいい。さめているわけではない。人と長くいると違和感が増幅される。沈黙の瞬間がくるとパニックに襲われる。そうかと思うと、沈黙を埋めるために無意味なことを喋っている自分にはもっと嫌悪をおぼえる。沈黙を満たす豊かなもの、沈黙が苦痛ではなくなる柔らかな時間をいつもほしいと思っていたのに、ついにそれを会得することができなかった。

「ヒソリ」という感情は「ひっそり」と「ひとり」を混ぜた感情なんだけれども、うまく創り合わせる
稲葉さんの感性がすばらしい。不思議と痛々しさは感じられない。的確にこうした深い感情を
書けるからこそ、作家なんだろうなと思う。おそるべし。

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連続性を持つということ

人は連続性を持って生きている、『偶然の旅人』を読んで改めて
そう思った。なんでもない、ちょっとした偶然が、さらに偶然を呼ぶ、
そんな風にして、このストーリーは展開していく。とても暖かな人間
関係だから、心地よい。はっとするのは、人との距離感だ。近づき
すぎているわけでもないし、遠く離れているわけでもない。そんな
絶妙な距離感が、良好な関係を結ぶことを可能としている。理想の
コミュニケーションだ。それを可能としているのは連続性を持つ
ということにある。

誰だって、大小あれど何かを抱えて生きている。その過去を背負い
ながら、日々暮らしている。当たり前の話と言えばそれまでだけど。
でも、それができていないのが今の日本だ。連続性を持つという
ことは、はずれを引くようなもの、そう解釈しても良い。

自分の過去を語ってはいけない風潮がある。語ってもいいけれど、
聞いた相手はウザがるだけだ。そこに救いはない。「だから何?」
と現在と過去をぶった切る。語って許されるのは、今そこで起きて
いるものか、ごく近い未来と過去だ。

過去はその性質上、どうしてもある種の重さを持つ。その人の人生を
語ることになるのだから。聞きたくもないそんな話を突然聞かされても
聞き手によっては困るだろう。はずれを引くと言ったのは、「それを共有
してしまった」という一種の契約を、一方的に結ばされてしまった聞き手
の情感からだ。「そんなこと言われても困る」わけだ。

というわけで、現代の望ましいコミュニケーションとは、連続性を絶った
コミュニケーションといえる。わっと騒ぐことが好まれる。過去は出来事
として処理する。過去と向き合うことはまずしない。言うなれば過去を
捨てて生きているに等しい。そうした方が今の世の中は生きやすい。

でも、本質的に人は連続性を持って生きている。過去を背負って生きて
いる。過去に押しつぶされそうになった時、一体どこでその重さを昇華
させることができるだろうか。現代の生きづらさ、息苦しさは昇華したくても
それができない風潮があるからではなかろうか?

『偶然の旅人』に出てくるメインとなる人物たちは、重い過去を背負っている。
そしてそれをうまく昇華させているのは、過去と向き合って現在に臨んでいる
のと、連続性を持ったコミュニケーションをしているから。
だからこそ、ストーリーを通して、暖かみを帯びているのだろう。

そう思った、日曜の朝、何をして過ごそうか。

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矛盾

本を読む時間がなかなか取れないにもかかわらず、
本や雑誌を買ってしまう、借りてしまう、この行動。
そこで机に乗ってる本をざっと列挙してみた。

『反自殺クラブ-池袋ウエストゲートパークⅤ』石田衣良
『性の歴史Ⅰ知への意志』M・フーコー
『性の歴史Ⅱ快楽の活用』M・フーコー
『性の歴史Ⅲ自己への配慮』M・フーコー
『意味と無意味』メルロポンティ
『野上弥生子随筆集』竹西寛子編
『猛スピードで母は』長島有
『テレビの21世紀』岡村黎明
『東京ファイティングキッズ』内田樹・平川克美
『夏目漱石集一、二』集英社
『存在の探求』學藝書林
『原爆の図』小沢節子
『大岡昇平集』新潮社
『容赦なき戦争』ジョン・ダワー
『子どもの宇宙』河合隼雄
『日本人の歴史意識』阿部謹也
『メルロポンティ-可逆性』鷲田清一
『四十日と四十夜のメルヘン』青木淳悟
文藝春秋三月号
『都市の論理』羽仁五郎
『報道は何を学んだのか』岩波ブックレット
『偶然の旅人』村上春樹
『ハナレイ・ベイ』村上春樹
『甘えの構造』土居健郎

この中で読み終えたものは挙げたリストの下4つだけ……。
就活がにくい、とってもにくい。

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茶料理/野上弥生子

野上弥生子『野上弥生子短篇集』岩波文庫

電車男が現代の恋愛模様を描いてるのなら、
この短編集に掲載されている『茶料理』は
一昔前の恋愛を描いたもの。ストーリーは
学生時代、ほのかな恋愛感情を抱きつつも
離れてしまった男女が十数年ぶりに再会する話。


最近の純愛ブームと違って、人が死なない純愛小説で、こういう恋愛っていいなぁ
とつくづく思った小説です。

そして、日本語がとてもきれい。簡単な単語の組み合わせなのに、なかなかどうして趣深い。
例えば、タイトルにもなってるこのような描写。

 二人ははじめて口に上ったじょうだんを、あまり年寄りすぎもしなければ、またあまり若すぎもしない、ちょうど彼らの年配に似合ったおちつきと平静とでいいあい、そういう間柄の男女だけで笑える笑い方で笑った。親しみにまじる淡い寂しみと渋みにおいて、それはなんとなしに、彼らが今そこで味わっている料理の味に似ていた。

最後のシーンでは、

 久子は爆音の中から高く呼んだ
「では、さようなら。」
「さようなら。」
 依田も応じた。お互いのさようならが、本当は何にむかって叫びかけられているかは、お互いが知っていた。


読み終えたとき、こみ上げてくるものがあって、しばらく震えが止まりませんでした
というのは大袈裟だけど、良い小説なのは間違いないです。

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就活

今、就活をしている身分だけど、
他の人たちが、あまりにも無駄に熱く
なってて、引き気味……。

どうしてこうも、みんな同じ方向へ突っ走るかな?
いくつか就活ブログ見てみたけど、みんな普通の
ことを大袈裟に書いてて(しかも大抵大文字にしてたりする)、
こっちが恥ずかしくなっちゃうよ。わざとやってるようで
本気だから怖い。

ただ、みんな不安で仕方ないんだろうね。
だから、就活をしている仲間とコミュニティーを
作りたい気持ちは、分からない気はない。
今までやってきたことが何もなくて愕然としたり、
自分がどれだけ狭い枠に入ってたことに気づいたり、
自己分析とかES書く内に分かってくるんだよなぁ。

そして、それを認めたくがないためにブログ上で楽しく
一生懸命やってます! と大袈裟に書いてる気がしてならない。
その時点でみんな自分の気持ちと向き合ってない、要するに
ごまかしてる(現実逃避してる)と思う。だから、違和感を持ったり、
醒めた態度を取ってしまうんだろうな。

一体何様? と自分でも思うけれど、それぐらい今の大学生って
固まらないと何もできない子供なんだなと丑三つ時に思った次第です。

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電車男/中野独人

中野独人『電車男』新潮社

05年になっても相変わらず売れているわけで。
ストーリーは酔っぱらいから女性を救ったアキバ系の青年が
2ちゃんねらーから助言を受けつつ、女性との恋愛を成就
していくというもの。話としては陳腐だけど、ネットの住人と
相談しながら事が進んでいくのは、話の在り方として面白いと思う。


また電車男は創作上の人物ではないのか、という議論が起きててそれはそれで面白い。
「電車男の時刻表」というサイトがあるので、気になる人は検索して行ってみましょう。

本当なのかネタなのか、その追求はいろんな人がやってて、今更取り上げても仕方ない。
では何故これを取り上げたかというと、小説新潮3月号の巻末に重松清と電車男のチャット
対談が載ってて新しいネタとして取り上げるにはちょうど良いかなと思ったから。

それで思ったことは、強烈な違和感があったと。顔文字というかアスキーアート
(こんなやつ→_| ̄|○)というか無理やり使ってる感じがして、とても苦しい。
2ちゃん語なのかな、「……(ry」という使い回しも苦しい。かといって、普通の言葉遣いを
したところで、電車男らしくもないただのチャット談義になるから、どのみち八方ふさがり
になるんだよな。

ここで得た結論は、電車男はメディアに出るべきじゃないと思う。謎は謎のままでいたが
いい。下手に出てくれば、出てくるだけおかしい方向へ行くばかりなんだから。

追記:
映画の主演決まったみたいだね。
電車男-山田孝之
エルメス-中谷美紀
しかし面白いか、この映画? 電車男の醍醐味ってこの2人のやりとりじゃなくて、
ねらーたちの応援とその瞬間の実況だから面白いと思うんだけど……。
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