Reading Tour

よく停滞、時に更新、きままな読書系ブログです

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知音に行ってきた

池袋は近所なのでよく行ってるのですが、
そんなところに、「華人ショップ」なるものがあります。
日本であって日本じゃない場所……日本語は通用しません。
やりとりは基本的に中国語オンリー。
中国の食品やCD、VCD、DVD、書籍など入手できます。

木曜日そこに行っていました。
かなり自分好みの雰囲気が漂ってました。
怪しさ爆発というかなんというか、かなり独特です。
行ってみないと分からない、そんな雰囲気が
店中漂ってます。

四川省で売られているカップ麺(個人的に強烈な想い出がある)や
なぜか韓国の製品も売ってました。辛いのが得意な人は
是非四川のカップ麺をご試食あれ。知音にありますから。

そこで、龍井茶というお茶と范瑋琪という台湾の
女性シンガーのCDを買いました。
久しぶり飲んだ中国茶、美味しい。

いやはや、東京は深い。また一つお気に入りの場所が増えました。

知音HP
中国語のみのサイトです。悪しからず。

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村上春樹を読む 3(上)

村上春樹を読む
村上春樹を読む 2

早いもので3回目。
はじめは前回の復習も兼ねつつ、キーワードを拾っていく。
・P8 自己療養へのささやかな試みにしかに過ぎないからだ。
・P12 失ったもの、踏みにじったもの、(中略)、裏切ったもの。
・6章、9章 ジョン・F・ケネディー
・P70 あなたの友達(=鼠)
・P90 「ねぇ、信じてもいいわよ」~「いや」
→彼女も「『僕』が知っていること」(=鼠と女の関係)に気付いているから「そう言うと思ったわ」
と言っている。
・29章 鼠の調子はひどく悪かった。
・P138 「手術したばかりなのよ」「子供?」
→状況を知っているから「子供」と即答できる。普通ここで言うのなら「病気」だろう。

ある種の痛々しさを心地よく読む。
この作品が出た70年代は60年代の熱気を失った時代。ケネディ暗殺後の時代を
生きる時に、ちょうど琴線に触れる作品だった。

教授が言うには、小説を読む=10枚の裏返ったトランプをいくつ表に返せるかという作業。
そして、ひっくり返したカードは何点なのか、自分では決められないもの。なぜなら
自分の読み方が評価される、されない時代があるから。
めくったカードは少なくても別に良いけれど、今やっているのは授業。だから多くのカードを
ひっくり返したい。大学生なら、7~8枚ひっくり返せる力を持って欲しい。
読めた上でカードを返さないのなら、それは個人の自由だけど、読めなくてひっくり
返せないのは違う。

前回までで、9枚はひっくり返したつもり。今回で残りの1枚をめくってみると。
やっと本論に入るところで、一旦ここで切ります。
(つづく)

注:引用しているページ数は、古い版のものです。新版だと若干ページ数が異なります。

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村上春樹を読む 3(中)

『風の歌を聴け』には数字が多用されている。
数字から何らかのキーワードを読み取ることができる。
例えば、「4」という数字は何かのきっかけとなる数字。
無口だった「僕」が話せるようになったのは14歳。
P98 彼女は14歳で……一番美しい瞬間だった。等々。

「3」はセックス関係。
3人の叔父、女性と寝た人数。きっちり男女を揃えている。
P93では54回のセックスと6921本目の煙草。
いずれも3で割り切れる。等々。

「7」は生死に関する数字。
彼女が死んだのは21歳。2週間(14日)木にぶら下がっていた。等々。

何でも数値に還元する(煙草、セックス)ことは虚無的人生だ。彼女に対する深い悔恨が
数値から読み取れる。彼女が死んだのは4月4日だが、発見されるまで2週間ある。
その間「僕」は煙草を一本も吸っていない。2週間も経っているなら7000本は突破している
はずだ。なのに吸っていない。死を知らされてから吸った一本、それはとてつもなく
重いもの。人生は数字ではないことを思い知らされたエピソードでもある。
それを理解した上で6章「3年ぶりに無性に煙草が吸いたくなった」というセリフ、
意味が重い。

まだ残り一枚のカードはめくっていない。残り一枚のカードをどうめくるか。
(つづく)

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村上春樹を読む 3(下)

残り一枚のカード、教授は村上春樹のWoman hatingに着目した。
『アフターダーク』の時でも述べたように、彼はWoman hatingを持っている。
もちろん『風の歌を聴け』にもそうした箇所は出てくる。
P24 「いい女かい?」
P25 「寝た女の数」
P45 「グレープフルーツのような乳房をつけ」

例えばP45の表現、乳房は「つける」ものだろうか? 何気ない表現の中に
Woman hatingが表れている。教授が言う村上春樹の女性観は個別として
女性を見ているのではなく、ジャンルとして女性を見ているのだと。つまり、
女性という「性」でしか見ていないのだと。

しかしストーリーは女性を悔いた物語であり、村上春樹の女性観とは矛盾している。
何故だろうか?

ホモソーシャルという視点で見ることにより、その矛盾が理解可能となる。
ホモソーシャルとは社会における同性同士の人間関係においては強い絆が
生まれ、そこでは異性はその絆の外に置かれて軽んじられ、さらには、自分に
かかわる異性を絆の強化確認に利用するというシステム。(教授は男同士が
作り上げた社会と狭義に言っておられたが)

その視点で考えてみると、P30にこういうセリフがある。「(猫は)鼠を殺す」
またP88では「36匹もの大小の猫を殺した」とある。
何故猫を殺しているのか? 「僕」は鼠を救おうとする(猫を殺す)反面、
鼠を殺そうとしている(自ら猫となる)。……つまり、鼠に対する「葛藤」が
表れているのだ。

『風の歌を聴け』の隠されたテーマ。それは鼠と小指のない女の関係と
「僕」が鼠に対して抱く葛藤の描写。

「僕」はストーリー中、3回シャワーを浴びている。P84、P100、P124の3回。
小指のない女と出会う時に、シャワーを浴びている。そして、P89。
「彼女は乳首の形がはっきり見える薄いシャツを着て、腰回りのゆったりとした綿のショート・パンツをはいていたし、おまけにテーブルの下で僕たちの足は何度もぶつかって、その度に僕は少しずつ赤くなった」

僕がこんな視線を彼女に向けているのは……「僕」は鼠から彼女を奪い取ろうと
しているから!? その準備として「僕」はシャワーを浴びている可能性がある。
(3はセックス関係の数字だ)

「僕」がやろうとしたのは、鼠と女を取り持つふりをして鼠殺しをすること。
そうすることで、鼠より優位に立とうとしている。まさにホモソーシャルの世界だ。

男性社会に怏々としてある女性の奪い合い。実は愛しているからではなく、
ゲットすることで他の同性と優位に立とうとする心性が男性にはある。要するに、
女を愛しているのではなく、男と競争しているのである。
美人と付き合う=見せびらかしという図式がある。例えばプロ野球選手が女子アナと
結婚するとかそういう類のもの。美人と付き合うのは自分の地位の証、また地位の
高い男は自分の美貌の証。ホモソーシャル特有の思考だ。

「僕」がやろうとしたのは「鼠殺し」。鼠から奪うことで自分の優位を得ようとしたのである。

以上が教授の見解。賛否がありそうな見解だが、説得力はあった。こういう見方がある
というのも知っていて損はない。もちろん強制はないのだから、納得するしないはこれを
聴いた学生およびこのブログを読んだあなたの自由。言うまでもないことだけれども。

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受けるコミュニケーション 2

受けるコミュニケーション

飛行機の中にて『14歳の子を持つ親たちへ』読了。内田樹さんと名越康文さんの
対談本なのだが、この本の中に、コミュニケーション能力について言及なさっていた
箇所があった。

53ページにこう書いてあります。
何を言っているのかはっきりわからないことを受信する能力のことでしょう、コミュニケーション能力って。

前後の文章で、ディベートばかりを教えている学校教育はおかしいという話を
しているのですが、全面的に同意できます。

人の話を聞かずに自分の意見を通そうとする。初めから自分の価値観だけで判断し、
こちらの話はぶった切る。Speaking能力は高いので説得力はあるし、簡潔で論理的
でもある。が、こちらの話に耳を傾けてくれないのだ。こういう状況をよく経験します。

「Aという場合もあるし、Bという場合もある、Cだってあるし、Dもあるじゃん」
とこちらが言うと、
「でもAだよね」
と断定的に言う。彼/彼女にとってAしかないのだ。

名越さんは48ページで同様のことを言ってます。
僕は日々、うちのクリニックに来るお母さん方と色んな話をしています。子どもさんの場合には、色々話をしてもちろん通じ合った場合には、その話の全体から僕が言いたいことを掴んでくれてるな、という感じがあるんですよ。「だから、これはこうしておこうね」っていう軽い結論さえ言えば、「他に聞きたいことある?」って聞いても、「うん、今日はこれでいい」って言います、子どもは。でも親御さんに同じ話をすると、「結局だから私は、こうしたらいいんですね」って、その話を百分の一ぐらいにまとめてしまう。それはそこしか聞いていないってことでしょう。

説明する側は納得させるのに本当に骨が折れます。人によっては、その話題が破綻する
場合も。自分の主張を譲らない頑固な点にはすごいものがあります。これもまた
「オレ様」化しているからでしょうか。原因が複合的になっているのでよく分からないです。

受けるコミュニケーションは絶対必要な能力と思うのですが、なおざりになっている、あるいは
存在すらしていないのが現状と言えます。(つづく)

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村上春樹を読む 2

村上春樹を読む
今日の授業で取り上げた作品はデビュー作『風の歌を聴け』

この作品の特徴としてよく挙げられるものとして、
・軽快な文体
・人の死を軽く扱っている
・ジグゾーパズルのような構成
・「忘れる」「覚えていない」ということばが多く含まれている
といったものが挙げられる。

「文体の軽快さ」と「死を軽く扱う」は実際表裏一体の評価。
忘れるというキーワードの多用から主人公である「僕」は「死を忘れようとしている」
というのが一般的な読み方。だからジェイズバーで鼠と一緒にビールを飲みまくっていると。

この解釈ではなく、違う視点から解釈しようとしてみたのが今回の授業。

6章「放っておいても人は死ぬ」ということばから、4ヶ月前の出来事(3番目の彼女の自殺)を
連想させている。そういう前置きのもとで鼠と会話している女とは一体誰か? ここのシーンは
特殊なシーン。鼠と女が会話している。女とは誰?

「ジョン・F・ケネディ」ということばにヒントがある。「ジョン・F・ケネディ」は9章にも出てくる。
このことから鼠と会話している女とは小指のない女というのが分かる。

ということから連想すると、小指のない女と鼠は付き合っていた。
そして彼女がおろした子どもは鼠の子どもということになる。
彼女が泥酔した理由=鼠と妊娠を巡るトラブルで「僕」はその場に居合わせていた。

居合わせたその日「僕」は彼女を介抱している。その時、彼女のバッグにあった葉書とは恐らく
鼠が書いた別れの葉書。見てないと「僕」は言うが、恐らく見ている。そして、
何故一晩中「僕」はいたのか?

この理由は日付にヒントがある。時系列を考えた場合、4月4日に3番目の彼女は
自殺している。その4ヶ月後8月8日に小指のない女と出会っている。
……そう死の倍数という偶然、「僕」はその嫌な偶然で一晩中いることにしたのだと思う。
自殺しかねない彼女のために部屋にいたのだ。「僕」には過失があるから。

34章で3番目の彼女とのやりとりがある。「僕」がついた嘘というのは
恐らく「子どもなんか欲しくないのに子どもについて語ったこと」と考えられる。
そして3番目の彼女は僕に絶望し自殺をする。そして彼女もまた妊娠していた。
だから34章みたいな会話をしているのだろう。

上手なやりとりさえすれば彼女は自殺しなかった。そうした負い目をかかえながら
「僕」は生活していて、似たような状況が目の前で再び起きた。鼠と小指のない女の関係と
「僕」と3番目の彼女の関係はひどく状況が似ている。「僕」は自殺させないための最善の策
として一晩中いることに決めたのだ。

時と場所が変わり、レコード屋のシーン(15章)。そして16章でその店で買ったレコードを
鼠にプレゼントする。「僕」は鼠に「あの女のところに行かなくていいのか?」あるいは
「あの女とやり直せないのか?」という牽制をしている。

そう「僕」は死を忘れようとしているわけではない。むしろ逆で、死を受け止めながら
生きている。

とここでタイムアップ、次週は背景を理解した上でどう評価するか? というお題らしい。
来週が待ち遠しくて仕方ない。

*この解釈を最初にしたのは平野芳信さんという批評家だそうです。
同じ授業を受けてるであろう人生あみだくじさんから平野芳信さんの漢字が判明。感謝。

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風土-人間学的考察/和辻哲郎

和辻哲郎『風土-人間学的考察』岩波文庫

この本によると、人は風土によってものの考え方や感じ方が
異なっていくという。著者は主に「モンスーン型」「砂漠型」「牧場型」の
三つに分けて、考察している。この三つを大まかに一言で説明すると
モンスーン型……自然に恭順
砂漠型……自然と闘う
牧場型……自然を支配

という風になる。日本はモンスーン型に入ります。
今回のテーマは「日本人論」だから、モンスーン型の説明中心にします。

モンスーン型がどうして自然に恭順するタイプなのか? 自然が極めて生存に適しているから。
日光に恵まれ、雨が降る。植物が良く育ち、資源が豊富。その一方で、台風や地震という
脅威が人々を襲う。自然を「怒らせ」ない限り、自然はその恩恵を与えてくれる。だから、
自然と立ち向かう時、人々は受容的・忍耐的になる。自然にはかなわない、つまり心性として
「あきらめ」からスタートしているのがモンスーン的(特に日本的)な性格だ。

特に日本のモンスーン型は独特なもので、四季という変化に富んだ環境の中で感情を
育んでいく。そしてものごとの移り変わりの「早さ」を受容しなければならない。他の
風土と比べて、四季は変化が早いものだ。それ故、活発であり敏感であるが、裏を返せば
疲れやすく持久性を持たない心性がある。要するに、飽きっぽいわけです。
とはいえ、変化を大切にする民族なのは確かだ。
をりふしの移りかはるこそ ものごとにあはれなれ -徒然草とあるように。

日本のモンスーン=台風≒野分が激しさを持つように、感情も突発的な猛烈さを持つ。
「日本人を怒らせると怖い」という理由を和辻的風土論に当てはめるとわかりやすい。
2次大戦の日本人のしぶとさがどれだけ驚異だっただろうか。猛烈的であり、忍耐的でもある。
沖縄戦でアメリカ兵は日本兵がいそうなところを、徹底的に焼き尽くしていった。これだけ
やったんだから、全滅したんじゃないかと思っていても、夜になると頬が痩けた兵士が
襲いにくる。これは怖いよ。

と、まとまりがつかなくなったところで次回の本。
『風土』をよく読んでいたのは、他ならぬ戦前・戦中の大学生。
どんなことを考えていたのかよく分かる本……といえば
『きけわだつみのこえ』テーマじゃなく紹介になるかな。

追記
ろくに推敲もせずにアップしたので、論理性に欠けるところがありました。
若干手直ししました。
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村上春樹を読む

…という授業があって、これがなかなか面白かった。
今日は授業のガイダンスおよび『アフターダーク』の読み解き。

・河合隼雄に会ってから村上春樹は変わった。ユング的なるものを導入したのがとても残念だ。ユングよりも面白いものを書けていた村上春樹はどこへ行った?
・『ねじまき鳥クロニクル』以降、頭では理解できるが心にくるものがなくなった。
・「文學界」にまで出てくるようになると作家としては終わり。柄谷行人などもそう。理由は大手メジャー誌にすべて出る=批判ができなくなるから。批判をした時点で新潮社、講談社、文藝春秋から本を書かせてもらう機会がなくなる。出版界のドル箱スターである村上春樹を批判する風潮は今のところ大手ではない。

『アフターダーク』
・会話は『風の歌を聴け』の頃から変わっていないが、構成が『ねじまき~』以降変わった。『アフターダーク』も結局のところ同じ。変わっていない。
・批評家が書評でストーリーの説明をしている=やっつけ書評=つまらないという公式がある。
・監視社会のアレゴリー←身体すら監視されている今の風潮+エリの部屋のテレビに顔のない人間が映っている←交換可能な人間の象徴
・上記のわかりやすい仕掛け+軽快な会話
・それらが共存しあっているのが『アフターダーク』

woman haterとしての村上春樹 『アフターダーク』
・男=巻き込まれ側 女=巻き込む側 村上春樹作品はいつもこのスタンス。
・『アフターダーク』では逆になっている。
・その一方でwoman hatingの箇所がある。エリが眠っているシーンと中国人デリヘル嬢が身ぐるみはがされた時に出てくる「形のいい」という描写。男の描写に対して「形のいい」という描写は普通使わない→誰にとっていい形か? =『アフターダーク』内に出てくる「私たち」とは男性のみ。
村上春樹の感性の根幹は『アフターダーク』でも変わっていない。脱しきれていない。

以上が教授の見解。何とも刺激的な授業だった。

と同時に今日は『東京奇譚集3-どこであれそれが見つかりそうな場所で』を休み時間の間に読了。
だんだん村上春樹っぽい作品になってきた。多分村上春樹を読み慣れている人はこれが一番面白かったんじゃないだろうか。

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大学始まる


大学が始まったわけですが……
生活が規則正しくなった! のはいいのだけれども
細切れの時間を使って、読書しなくてはいけなくなりました。
何とももどかしい。

ちなみに今読んでいる本は『深代惇郎の天声人語』
『四十日と四十夜のメルヘン』の二つ。
おもしろさのベクトルは違えど、両方おもしろい。

とくに『深代惇郎の天声人語』はいい。
今は絶版になってて、古本で見つけるしかない
けれども、探してでも読むに値する本です。

そして就活をおろそかにする自分……うーん。

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受けるコミュニケーション

今の世の中、一にも二にも「コミュニケーション能力」が要求されるらしい。
基本的に自分は人の話を鵜呑みにしない性格。一般的に「当たり前」と
言われているものに、疑問を持つのが自分だ。

世間一般に流布している「コミュニケーション能力」とは、恐らくSpeaking能力のこと。
どんな状況でも、適切なコミュニケーションが取ることができると。なんだかTOEICの
レベルの様だけれども、とにかくアドリブだろうがなんだろうが、喋れる奴がとかく世間では
使える人間と判断される。今の世の中、沈黙は金にはならない。

実際、若い世代になるほどSpeaking能力は高い。昔の人ほど語学に抵抗感や嫌悪感を
持つ人はいないと思う。近所のスタバに行くと、ペラペラの日本人がわんさかいる。また
小賢しいとはいえ、教師を絶句させるほど口の長けた生徒だっている。

若い世代が前の世代より優れていると言うつもりはさらさらない。確実に能力が衰えている
ものがあるからだ。単刀直入にいえば、それは「コミュニケーション能力」。ただし、
Hearingにおけるコミュニケーション能力だ。どんな形であれ、人の話を聞かない世代が
着実に育っている。

去年、一昨年とベストセラーになった本の帯にはこう書いてある「話せば分かるなんて大うそ」
これに拒否反応を示す人は結構多い。自己主張が強い一方で、何か言われると
「どうしてあなたにそんなこと言われないといけないの」と切り返す人がなんと多いことか。

その人に向かって何かを語りかけるのは、一つの意見、助言であって命令性を帯びる
ものではない。ところが、そういうメッセージを解釈できず、「あなた、どうしてそんなに
偉そうなの」という一方的な感情的意見を言う。なまじSpeaking能力が高いからやっかいだ。

受けるコミュニケーション能力の衰退。これはかなり深い問題といえる。
日を改めてこれについて別視点で述べてみたい。

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2005年本屋大賞決定!

全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 本屋大賞

今日決定しましたね自分が予想したのは、
ワーストとナンバーワン。当てたのかな、これ?

自分が『そのときは彼によろしく』を予想した理由。
・陰りが見えているもののまだ純愛ブーム
・何も受賞してない
・他の対抗作品は賞を取っている

こうした理由から、予想したわけだけど……うーん。
ともあれ、恩田陸さんおめでとうございます!

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