Reading Tour

よく停滞、時に更新、きままな読書系ブログです

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火曜日の話

火曜日に友人が3回目の上京を果たす。
目的はライブ。渋谷0-nestに着くなり早々
友人に会う。入口付近で写真を撮っていた。
いきなり遭遇するとは思っていなかったから、
軽く動揺。

今回のライブの出来次第で、CDを出せるかどうかが
決まる。失敗は即クビというハードな状況。

自分の後ろに所属事務所の社長と会長、そしてコロムビアの
社長がいた。明らかに違うオーラが出ている。
なんと言えばいいのか、大物のオーラが出ていた。

ステージ前に今回の衣装を作ってくれた人がいた。
前回のライブの後、友人から聞いて知ったのだが、
SMAPや浜崎あゆみの衣装を作ったことがある人らしい。
若くて美人で、才能ある、才色兼備とはこの人のことを指すのだろう。

役者が全員揃ったところでライブ開始。
うん、盛り上がったし、雰囲気を出すところはきちん出していた。
3曲目の「戦場に咲く華」はがっちり聞き手の心を掴む曲だった。

ライブ自体、前回とそんなに変化してないのだが、何だろう、
魅せられたという気持ちでいっぱいになった。

ライブが終わった後にアンコール要求されていた、すごい。
ライブハウスはきっちり時間が決められているので、
そんなことを出来やしないけど、観客にそう思わせるくらい
出来が良かったものだった。

翌日、友人から電話が掛かってきて、コロムビアの社長に認められ、
CD出せることが決定したらしい。というわけで、活動はしばらく作詞・作曲に
専念するとのこと。デビューは早くて半年後だそうだ。あと、バンド名や
名前も変更になるかもと言っていた。

ともあれ、よかったよかった。

応援を込めてリンク
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すべての雲は銀の…/村山由佳

村山由佳『すべての雲は銀の…』講談社

 毎度エントリーを書く前に、再読して
書くことにしています。かなり大雑把ですが、
再読すると、新たな視点が見えてきて面白い。
これが読書の醍醐味といえばそれまでなんですが。

今回『すべての雲は銀の…』を読んで感じたこと、
『すべての雲は銀の…』は

死と再生のストーリーである

そう思いました。といっても、ストーリーで実際に登場人物が死んでしまうことはありません。
正確には象徴的に死んでいるといったが正しいかな。主人公の祐介は始まりから死んで
います。

二十歳前後の失恋はその人にとって(この場合は祐介)かなり影響があるし、重く
のしかかるものです。祐介はひとまず日常を捨て、非日常の住人になります。非日常とは
祐介が世話になる「かむなび」です。

うだつの上がらない祐介はかむなびで徐々に生の力を取り戻していき、ある一点を
越えたところで、再び自分にとっての日常世界へと戻っていこう、そう思い立ちます。
そしてその時に、この物語は終わりを迎えます。(ストーリーを考えるなら、中途半端な
感が否めませんが、すべてを見せる小説は野暮ったい小説と思うので、個人的に
この終わり方、良いと思ってます)

それではある一点とは何か? それは自分が今まで認めなかったものを認めるようになる
ことです。嫌なものを認めるのは骨が折れます。自分の中に異物が入るような感覚がします。
認めたくない自分との葛藤もあります。でも、それらを超えたところに新たな自分がいる。

そういう経験を経た人は「人間力」とか「コミュニケーション能力」とかそんな陳腐な言葉では
語れないくらい、本当に強い、魅力あるオーラを纏います。現に祐介は最初と最後では
内面が全然違います。

『すべての雲は銀の…』はストーリーを追うのも楽しいですが、こうした視点で見るのも
楽しいのではないかな、と思います。

すでに文庫化されています。



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経験を語り伝えること

戦後60年目というわけで、色んな媒体が色んなトピックで
戦中・戦後を語っていたわけですが、共通するのは

経験を語り伝えること

ではないでしょうか? 自分たちが受け継いできたことを
きちんと次の世代に語り伝える。それが大事なんじゃないかなと
個人的に思うわけでして。

少し話は逸れますが、各世代のアイデンティティを強化する場合、
上の世代を否定するのが一番手っ取り早いわけで、団塊世代は
戦中派世代を否定し、3~40代の団塊ジュニアorバブル世代は
団塊世代を否定し、そして恐らく自分たち20代は団塊ジュニアor
バブル世代を否定するんだろうし、自分たちは10代以下から
否定されるんだろうな、と大雑把ではあるもののこんな感じに
なってるし、なるんじゃないかと思います。

さらに話は逸れ、私の祖母の話を。この前実家に帰省した時に、
祖母に戦争時の話やら何やら色々聞いてみました。ちなみに祖母は
今年で85歳です。そして、学歴はないです。農業一筋ですから。
そんな祖母に、教育勅語について話題をふってみたら、
もの凄いことに、教育勅語をペラペラそらんじました。

ここで思うわけですよ、昔の教育制度はしっかりしてたし、戦中派世代までは
経験を語り継いでいたのではないかと。

団塊から始まるサブカルチャー路線(例えば「ガロ」に掲載されたつげ義春を
神聖視したりとか)はいわゆる大文字のCULTUREを見事駆逐した。
そしてヒッピー文化。戦争を知らない子供たちを当時の大人はどう見ていたの
だろうか。

そんな団塊世代を否定する3~40代。今の日本を引っ張っている中心世代。
彼らは現状肯定主義、過去は気にしない、目の前の情報に素早く反応し、
知識を駆使する。決して経験からにじみ出る知恵をあてにしない。

そして、壊れやすい自己と加減を知らない20代以下。関係不全とでも言おうか、
自分について深く追求されたくない&したくない世代。デジタル思考の
マニュアル世代。だから、融通が利かない。

細かい突っ込み(団塊の世代は1947~49年生まれを指す世代であって
50代全部を指さないorマニュアル人間は30、40代にだっている等々)はなしとして、
ここで言いたいのは、各世代に脈々と受け継がれてきたものはあっただろうか?
ということだ。上の世代を否定することにかまけてばかりで、伝えることをおろそかに
してこなかっただろうか?

学のない祖母が教育勅語をそらんじられるように、しっかりとした「何か」を
伝えるものがなかったのだろうか。無機質で、その世代にしか通じない文化
ばかりでいいのだろうか。

それならば、私たちは何をこれから語り伝えていくべきなのだろうか。

余談:自分は何がそらんじられるかと考えてみたら、ドラゴンボールのセリフであったり、
J-popの歌詞であったり、あんまり胸を張れるものじゃないのが何とも悲しかった。
その世代間でしか通じない想い出って味気ない……。

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20年前の……

今日という日を決して忘れてはならない。
http://mito.cool.ne.jp/detestation/123.html

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇/山崎豊子
日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時/朝日新聞社会部

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ねこ大好き

ねこ大好き! という訳で
これを我慢できずに買いました。

大満足も満足。これがなければCREAじゃないくらい。
好きです、毎年あるこの特集w
きのうは、一人萌え死んでいました。 あぁ、本当にかわいいなぁ……。

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まぼろし/生田紗代

生田紗代『まぼろし』新潮社、読了。

期待が大きすぎたせいか、それほど良いと思わなかった。
ただ、会話にそれほど違和感がなかったのは
同世代だからだろう。「18階ビジョン」に出てくる妹なんか、
知り合いの妹に似てること似てることw

それはさておき、本当に残念なのは「まぼろし」の方。
ある程度の水準を保って、ストーリーが展開していく。

それは本当に悪くないレベルで、確かに芥川賞にノミネート
される水準は「途中まで」あった。
(でもこの人の作風なら直木賞がいい気もする)

問題は表題にもなっている「まぼろし」の描写(P145)。
なぜかここだけ異様に文章が下手だ。だからこそ、
余計に目立った。

良い感じで読んでいただけに、P145読んだ瞬間
えーっ!? って感じだった。編集者がここを見落として
いたのではないかと思うぐらい。

一番大事なシーンで失敗しているから、とてももったいない。
なんとも悔やまれる。
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生きる意味/上田紀行

上田紀行『生きる意味』岩波新書

 かつて、人はみんなと同じものを持っていれば
幸福でいられた。三種の神器、3Cしかり。

今はちがう。
新三種の神器を持っていたからといって、みんなが
満足するとは限らない、そんな世の中だ。

全共闘からニューアカへ、ニューアカから精神世界へ、精神世界以後は
分散化されてこれといった言い方はない。とにかく、みんなで何か一つのものごとを目指す
時代は終わり、各自で何かを求めなければならない時代が到来している。

一人で何でもできる人にとって、今の世の中は望ましい時代である。ベンチャーの隆盛などを
見ればわかりやすい。しかし、一人で何でもガツガツやれない人だって存在している。また、
時代の変化に気付かずに、つい付和雷同になり、モヤモヤ感を抱きながら生活している人
だっているだろう。「何かちがう」とか「別に自分がここにいなくてもいいじゃん」とか思う人だ。

この本は、一人で生きることができない人に向かって、早く自分の好きなことを見つけて
それを共有できるグループと活動しなさい、と訴えている本だ。その例として上田さんは
自分の好きなこと=仏教を紹介している。

この本を読んで、「じゃあ自分はどうすればいいわけ?」と思考停止するのではなく、
「自分は何が好きなんだ?」と考えられるようになったら、しめたものだ。

注意したいのは、好きなこと=不快のない状態ではない。どんなものごとも、良いことも
あれば嫌なこともある。嫌な感情から目を逸らさずにきちんと向き合う、その重要性を
この本はちゃんと説いている。

90年代を(経済的に)「失われた時代」というが、00年代を(こころが)「喪われた時代」に
ならないように、上田さんは語っているのだ。
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