Reading Tour

よく停滞、時に更新、きままな読書系ブログです

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B級本のススメ

ようやく梅雨明け宣言。
日中はまさに夏としか言いようのない天気だったけど、
日が落ちてからは、風も吹いて過ごしやすくなったね。
清々しい。

妙にB級本に惹かれるときがある。
先日、古本屋に行ったら「B-Quest Vol.1 山田悠介大特集」なんてものを見つけてしまい、
思わず、手にとってそのままレジに向かおうとしたものの、値段確認して断念。
幸か不幸か、立ち読みだけで済ませた。

と思えば、今日、別の古本屋で『時をかける少女』の30年前ぐらい前に出た文庫を発見して、
それがまたいかんともし難い装填だったので購入を決意。
が、別の用事があったので、その場で購入せずに店を出てしまった。
明日にでも買いに行こう。購入できたら写真アップします。

で、今欲しいB級本はこれ
岩波も英断に充ちていた時代があったのかと思うと、こっちまで奮い立つよ。

で、おすすめB級本は木山将吾『SMAPへ』鹿砦社
作者がジャニー喜多川の性虐待を受けたそうで、それを赤裸々に綴った告発本……のはず
なんだけど、作者の端正で瑞々しい表現によりsensualな体験本になりました。
いわゆる「ツンデレ」ってやつなんでしょうか、行間からは作者の逆の主張が読み取れます。
疲れているときに読むと心地よい気がするので寝る前の読書にでも。

B級本は清涼剤だよ。

追記
予告通り『時をかける少女』を買ってきました。
現在の絵は映画の公式サイトから持ってきたものだと
こんなのだったり、


こんなのだったり


こんなのだったり


だけど、

昭和五十一年(1976年)初版の絵は……


もう少し大きい方がいいかもしれないので、大きくしてみました。


人それぞれ、感じるものは違うと思うので何も言いませんが、たぶんある種の感情の
共有が出来たんじゃないかなと、いやはや。

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天の邪鬼的読書

 読書家と言いつつ、その実、単なるミーハーな読書をするのがどうも苦手だ。
例えば、何の批判もなく、伊坂幸太郎、絲山秋子、恩田陸、角田光代、東野圭吾、古川日出男、
村上春樹、町田康等の作家「だけ」を読んで、ストーリーの紹介&面白かった/イマイチとブログで
書きたくはない。(他に、いしいしんじ、川上弘美、舞上王太郎、カズオイシグロとか
いくらでもあげられるんだけど、あげた作家に対して別に他意はありません)

がっついている感じがするのと、流行作家を読んで流行に乗ってます! って感じの痛々しさが
ちょっと……とためらいを生んじゃって、正面切って読みました! とは言えない。
とか何とか書いておきながら、ちゃっかりそういった流行作家をすべてとは言わないけれど、
読んでたりするところが天の邪鬼たる所以ではあるんだけど。

じゃあ他に何読んでるのかというと、人文系の専門書だったり、新書だったり、古典だったり、
はたまた漫画だったり、色々あるんだけれど、そういうのはそういうので、他人を見下す
インテリお馬鹿臭が漂いそうで、そういう読書を嫌ってたりする。
どっちつかずの中途半端な感も無くないが、今の自分のぶれる読書っていうのは
まんざらでもないや。独自のポジションにいることは独自な見方をしている、とも言えるんだから。

 夏の暑さが再び戻ろうとしている頃に、自分の立ち位置について考えてみた。
そのとき、外から――遠く離れた場所だろう――花火の音が耳にそっと聞こえてきた。
花火会場までの距離と読書の距離と……そのふたつは似ているな、とふと思った。

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社会派スノッブに陥らないように

「社会派スノッブ」という言葉はあまり聞いたことない言葉だと思うし、明確な意味として
流布しているかどうかはなはだ心許ないけれども、大体こういう人たちのことを指します。

社会派/ドキュメンタリー映画を観て「あの映画の××のところはとっくに知ってたよ」とか言う人。
小説の新人賞受賞者、特に女性作家に対して「あんな小説、俺/私でも書ける」とか言う人。
小谷野敦『もてない男』辺りを読んで佐伯順子の『遊女の文化史』を
そのまま小谷野敦の言葉で批判する人。『遊女の文化史』のamazon書評を見ると面白い。

 最後は具体的過ぎるかもしれないけど、まぁこういう人たちを「社会派スノッブ」と個人的に
思ってます。皮肉でも何でもなく、彼らは得てして頭が良いです。良い大学・良い企業に勤めて
います。自分も一時期「社会派スノッブ」になってた、と否定はしません。だからといって、
自分が優秀とは微塵たりとも思ってませんが。

なまじ知識があるだけに陥ってしまう病気みたいなものです。
大人の「中二病」とでも言いますか。
自分に自信があって、今まで人生で失敗をしたことがないだけに、つい言ってしまうその威勢の
よさは聞いてしまうとこちらが恥ずかしくなる。なまじ自分が通った道だけになおさら。

治療法は
スノッブであることを自覚する。
脊髄反射的な発言を慎み、その事象に関する「専門的」知識を持つ。決して見聞きレベルの
知識をひけらかさない。
人生上で挫折する。

などなど、色々あります。挫折は流石におすすめしないけど。
お気をつけて。

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村上春樹とナショナリズム

興味深い記事を発見した。
思想的な発言をあまりしない村上春樹が
日本のナショナリズムの昂揚について英紙ガーディアンでコメントしている。
Murakami hits out at Japanese nationalism
http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,,1811674,00.html

さて、権力者の太鼓持ち、且つ村上春樹を「漱石以降最も重要な作家」と評した
福田和也がどう反応するんだろうか。
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土用の丑の日

だからといって、うなぎを食べたかというとそうではなく、
普通の夕飯で済ませました。。。
でも、うなぎは美味しいから土用の丑の日じゃなくても
食べたいよね。

有名どころで言えば、尾花野田岩のうなぎはそりゃあもう至高の美味。
一度は行っておきたい所。

それはそうとして、
うなぎを食べない代わりに「鰻の幇間」を聞いて笑ってました。

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エッセイ考

 エッセイを読むなら小粋なエッセイが良い。
日常の細かなことに気を遣い、それでいて格好が良い。
読んでいてはっとさせる、心温まる、時として心憎い。
そうかと思えば、熱く語り出す。
軽妙洒脱という言葉がぴったりのそんなエッセイがわたしは好きだ。

実は、小粋なエッセイストの系譜はつい最近まで続いていた。
夏目漱石→内田百閒→高橋義孝→山口瞳→伊丹十三という流れだ。
伊丹十三が死んで(殺された?)この系譜が途絶えちゃったから悲しくはあるんだけど、
完全にそういったエッセイが死に絶えたわけじゃないから救いはある。
嵐山光三郎さんあたりが小粋なエッセイの継承者としてがんばっていらっしゃるので
当分は大丈夫。だが、彼らに続く書き手は現れるだろうか。

上の五人で高橋義孝さんのエッセイだけは読んだことなく――というかほぼ絶版だから
読みたくても読めない、復刊したら買いたいけど流石に無理かなぁ。
高橋義孝さんは翻訳書で名を馳せているから――ゲーテ、カフカ、トーマスマン等、
著作すべてが消えるわけじゃないと思うけど、やはり高橋さんが書いたものを読んでみたい。

 小粋じゃなくても、エッセイは面白い書き手がたくさんいる。小林信彦、中野翠、宮藤官九郎、
山崎ナオコーラ、本谷有希子等々、この辺りの人は一癖二癖あって好きです。もちろん、
椎名誠、桐島洋子、佐藤愛子、故人なら幸田文、宇野千代等の正当派も文句なしに面白い。
『日本の名随筆』シリーズをいつか全巻そろえてみたいね。

いやはや、日本の活字文化も捨てたもんじゃないですよ、読みたい本が多い多い。

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まぁ、いろいろと。

最近気になる映画があって調べてみたら思いっきり単館系の映画で、どうしてこう自分は
マイナーな作品ばかり好きになってしまうんだろうと辟易しつつも、そんな自分が大好きでも
あって。。。

何の映画かというと、『ゆれる』という映画です。2、3週間前に知ってたんだけど、
結局、ウダウダ過ごしながらいまだ観ず仕舞い、こりゃいかんなぁ、と。

映画業界で働いている人、というか映画監督を目指してて助監督としてあちこち現場を回っている
人とつい最近知り合いになって、早速その人に『ゆれる』について聞いてみたら、
西川監督という方は『誰も知らない』で有名な是枝監督の下で助監督として
みっちり鍛えられた方みたいです。自分で原作を創り上げるぐらい精力的な人なので、
これは観に行かないと。

最近雨ばかり。梅雨明け宣言はまだかねぇ。

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ジュンク堂とゲド戦記の広告と

読売新聞のゲド戦記の広告はいつ見ても笑ってしまう。
中田ヒデの「自分探しの旅」を正面切って否定しているから。
タイミング悪いと言えば悪いね、読売も中田も。

池袋ジュンク堂に行ってきて、捜したけれどどうしても見つからない本があった。
そこで店員さんに聞いたんだけど、そこで判明したのが階によって対応が違うのね。
3階の店員さん。3階は小説・新書・文庫の階。
「すいません、××っていう本探してるんですけど」と言いながら機械検索した紙を渡す。
店員さんは紙を見てすぐに置いてある棚へ向かう。ここあたりは流石と思いながら
自分も後から付いていく。

到着。ささっと一目見て、すぐに一言。
「ありませんね、売り切れです」
そう言ったあと、ありがとうございましたという間もなくどこかへ消えてしまった。
実際、3、4、5、9階とあちこち移動したので、3階の店員さんには違う人に
違う本を尋ねてみたんだけど、どの人も同じ対応だった。

4階の店員さんはどうかというと、目的の棚へ着いてからが違った。
「ありませんねぇ……うーん」と言いながら、あるはずの棚をずっと一から探してくれた。そのあと、
「申し訳ございません。この棚にあるはずなんですが、見当たらないということは他の棚に
紛れてしまったのか、もしくは売り切れている可能性がございます。ですので、
お取り寄せしていただく形になるかも……」と懇切丁寧に対応していただいた。
ちなみに4階は哲学とか社会学とか歴史とか人文系の書籍が置いてあるところです。

5階と9階にある目的の本は自力で見つけたから、店員さんの対応は分かりません。
階によって売れ具合は違うのは誰だって少し考えれば分かる。と同時に実は店員の対応も
違ってたりする。さてさてこの事実に対して、笑って済ますか、クレームをつけるか。
自分は前者だけど、後者の気持ちも分からなくはない。サービスに偏りがあるのはまずいし、
ネチネチしたクレーマーは多分そこを突いてくるからねぇ。

まぁ、いいや、面白い発見だったし。

追記
これを書くのを忘れていた。上の出来事は一昨日の出来事、つまり7月17日の
出来事なんだけど、今日19日に3階で売り切れたと言われた本をwebで検索すると、
在庫が残っていたりする。買えた本で在庫が一冊しかなかったものはちゃんと
在庫切れと表示されているのにね。たった1日で入荷できるはずはないし、
しかも一冊しか入荷しないってあり得ないしね。クレームどうこうと話をふったのは
こういう理由からでした。

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語録・名文12

◎近頃、最も増した犯罪は強姦だそうだ。(1943年6月18日(金))

◎二年に気付く現象は、コソ泥の横行である。物を盗まれない家とてはない有様だ。玄関に置いた外套、靴、直ぐ取られる。(1943年12月8日)

◎満州事変以来、外交は全く軍部に移った。それは、また一般民衆の好むところの傾向でもあった。それがよかったかどうかは、タイムのみが明らかにしよう。(1944年1月8日)

◎それにしても、日本人は、口を開けば対手を軽く見ることばかりしており、また罵倒――極めて低級な――ばかりしているが、日本国民にこの辺の相違が分からぬだろうか。(1945年3月11日)

◎国民の無知は想像以上である。
 浅草観音は大震災にも焼けなかったし、効験あらたかだから、今度も焼けまいと考えて、観音に駆けつけたものが多かった。それがその辺で死んだものが多かった一原因だったという。
 経済クラブにいる一婦人は、上野付近にいたが、その近くに、何とか神社がある。他に勧められても、この神社の傍だから大丈夫と考えて、荷物すら送らなかった。それで全焼したそうだ。(1945年3月31日)
(清沢洌、ジャーナリスト・評論家、『暗黒日記』より。芸人や大学生の強姦、ネット上における罵倒、細木数子や林真理子の盲目的な信仰などなど、今と大して違いはないよね。)

◎日本の大衆は必ずしも権力者の命令だけで動くのではない。……(中略)……急速な動きにも乗り、時として権力が命じる前に、先走りして迎合するのだ。

◎小泉首相を評して、ナルシシズムとサディズムのかたまりという批判がある。それはその通りなのだが、要するに<幼児性>の発露ではないか。
 鏡を眺めて、おのれの姿にうっとりする。ホメられると喜ぶが、少しでもケナされると、ネチネチと恨む。弱い者を徹底的にいじめ抜く。これが幼児性。
 まあ、誰でもが持っているものである。ただ、ぼくの場合をいえば、戦争末期にひどい目に遭わされ、飢餓から逃れるために働くことによって、そのカラからほぼ抜け出した。
(小林信彦、コラムニスト、『昭和のまぼろし』より。太字はそこに傍点があったことを意味します。首相のレベルが国民のレベルと言われているだけに国民総幼児化ってのは色んな事象から思い当たるなぁと。)

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web2.0とメディアリテラシーとトンデモ本の評価

今年になってweb2.0という用語が大流行で、あちこちどっちそっちにもweb2.0の文字が
至るところ、殊にweb上で見ない日はないというくらいこの言葉が氾濫している。
いい現象だね。そう思っているからそんな現象にあやかってブログをやっているわけで、
個人的にはもっともっと風通しがよくなって欲しい。

このブログの趣旨から言うと、本を読んだ、もしくは気になる本があった場合、
どんな感想を他の人がしているのか気になるときがある。そういうときに、よく検索していたのが
amazonで、けっこう判断するのに役立った。

でも、amazonの書評は評価が割れるときに非常に胡散臭くなってしまう。
特に、特定の思想が絡む本なんかはほとんど当てにならない。評価を意図的にある方向へ
導こうとしているのがみえてしまう。

『オニババ化する女たち』、『ぷちナショナリズム症候群』、『携帯を持ったサル』
これらの本はamazonで非常に評判が悪く、トンデモ本のレッテルを貼られている新書だ。
確かに難ありな部分はあるものの、そこまで叩くことはないと思う。個人的に相容れない
主張もあるけど一理あるし、新書レベルだと次第点だと思っていたら、amazon見て
本当にびっくりした。

一つ星が熱狂的に支持され、五つ星は不当に低い。上の3つを全部足して50万部行くか
行かないか程度なのに、レビューの数も妙に多かったりする。
これって怪しい。

日本のSNS最大手mixiのレビューだと、けっこう生の声、感想が見られる。
上の3冊だとmixiのレビューの方が遥かに健全だ。これこそweb2.0の時代になったから
分かったことだし、また意図的に誘導してたある種の人たちがいたんだなということも
確認できる。amazonや匿名ブログだけでは、怪しかったけどそうとは言い切れなかった
ものがあった。

もちろん逆の現象もあって、リリーフランキーの『東京タワー』はamazonの方が
他の人がどんな感想を持っているのか分かりやすい。色んな情報源を選べるっていうのは
便利だね。

ただ、他の人の感想意見なんかは自分の意見の補強であって、
読了したにせよ未読だったにせよ、自分の頭で考えるのが一番大事なんだけどね。

ともあれ、意図的な流れに持って行こうとする層を見抜くにはけっこう便利な世の中に
なりました。マスコミだけが敵じゃないからねぇ。時には染まっていたなんてことも……
いやはや。もっともっと風通しよくなれ、選択肢よ広がれ。
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赤頭巾ちゃん気をつけて/庄司薫

 ぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないかと思うことがある。特に女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、必ず「ママ」が出てくるのだ。

 斎藤美奈子が言うには1970年代に学生だった男の子は
みんな『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読み込んで感銘を
受けていたらしい。今で言う村上春樹みたいなもので、
文体も薫クンに似せた書き方をする男の子が山ほどいた。同様に、小説の新人賞には薫クン文体で書く人がこぞっていたらしく、当時の下読みさんたちは
さぞうんざりしてただろう。

健全な男の子の妄想っぽく、今でもこういういじらしいストーリーに惹かれても、
まぁおかしくないんじゃないかと思う。甘ったるい文体は母性のやさしさに依存したい欲望を
そのまま表しているし、時代の流れに翻弄されて悩む「ぼく」というのも今でも通用するものだし、
幼馴染の女の子とケンカして仲直りしようとするためにあれこれ悩むのもそう。挙げ句の果てに
下着を着けていない女医さんの登場なんかは男の子の健全な妄想の極致じゃないだろうか。

現実にはあり得ない、けどあり得ないだけにあったらいいなぁと夢見てしまう男の子を
救ってきた一方で、『赤頭巾ちゃん気をつけて』は厳しい現実を生きるうえで強いメッセージ性を
発している。今でもこういう考え方は大事だと思うので少しだけ引用してみる。


ぼくに言わせると、そうやって暴れたり女の子のからだにさわっていないと確認できない実存なんてのは、どうも大したことがないような気がする。何故って、そうやって暴れたり女の子を抱いたりするのはちょっとあまりに簡単すぎるから、逆にそれで確認できる実存とか孤独なんていうのもちょっと簡単すぎてつまらないのではあるまいか。


そして時代に悩む「ぼく」のむき出しの悪意が後半になってあからさまに出てくる。


そうなんだ、彼らはああやっていかにも若々しく青春を燃焼させその信じるところをやれるだけやったと信じきって、そして結局は例の「挫折」をして社会の中にとけこみ、そしてそれでもおおわが青春よ若き日よなどといって、その一生を甘さと苦さのうまくまじったいわくありげなものにして生きるのだ。彼らの果敢な決断と行動、彼らと行動をともにしないすべての若者をすべての人間を非難し虫ケラのように侮辱するその行動の底にはあくまでも若さとか青春の情熱といったものが免罪符のように隠されているのだ。いざとなればいつでもやり直し大目に見てもらい見逃してもらい許してもらえるという免罪符が。若き日とか青春といったものを自分の人生から切り離し、あとで挫折し転向したときにはとかげの尻尾みたいに見殺しにできるという意識が。もともと過去も未来も分けられぬたったひとつの自分を切り売りし、いつでも自分を「部分」として見殺しにできる恐るべき自己軽視・自己嫌悪が隠されているのだ。


数寄屋橋から四丁目に向かう狭い歩道は賑わう人の群れでごったがえしていた。ぼくはその人並みの間を、自然に左足をかばうようにしながらゆっくりと歩いていったが、前から後から人々があるいはつき当りあるいは押しのけるようにしてぼくにぶつかってきた。そうなのだ。この人たちは要するに誰のことでもない自分のこと、自分のささやかな幸福やそのささやかな利益のことだけを考えて生きているのだ。ぼくがおかしなゴム長をはいて足に怪我してい歩いていようと、そんなことはかまいはしないのだ。誰もひとのことなど本当に考えはしない、ましてやみんなを幸福にするにはどうしたらいいかなんて、いやそんなことを真面目に考える人間が世の中にいることさえ考えてもみないのだ。そしてそれは恐らくはごく当り前の自然のことなのだ。


これらの悪意を受け止めるキャッチャー役が「赤頭巾ちゃん」を探しに来た女の子なんだけど、
ここで何度もキャッチャー役を務めようと奮闘する薫クンが反転して「悪意」になってしまうのが
面白い。ここが『ライ麦畑で捕まえて』と違う展開。

この作品はよく『ライ麦畑で捕まえて』と比較されるけど、構成がまったく同じというわけではない。
きちんとオリジナルな箇所があることを読者側は読み落としてはいけない。先入観なしで
『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んだが面白いと思う。

なお、この小説は第六十一回芥川賞受賞作。この時評者の一人は三島由紀夫。
あのマッチョな文体をもった正反対の書き手がこの小説を賞賛していたのは面白い。
読み手として、三島由紀夫は一流だったと思うエピソードのひとつだ。
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第135回芥川賞・直木賞決定

芥川賞
http://www.bunshun.co.jp/award/akutagawa/index.htm
直木賞
http://www.bunshun.co.jp/award/naoki/index.htm

三浦さんが受賞かぁ……。受賞作はオール文春になりました。
選評が出るまで待っておきましょう。
コメントもそこそこに。

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語録・名文11

◎ひとしきりしか歌われないはやり唄にそっくりの輩がいる。

◎洞察力の最大の欠点は、的に達しないことではなく、その先まで行ってしまうことである。
(以上、ラ・ロシュフコー、貴族・文学者。軽い人間にならないよう、そして考えても考えすぎないように。)

◎いつも時流に通じていようとするのは、揺れて定まらない精神のあかしである。そうした精神は、個我にかかわることは何ひとつ追跡できず、強迫観念という果てしのない袋小路には、まったく縁がない。

◎独りでいられる利得を、あまりあてにしないことだ。いつだって、自分に付き添われているではないか。
(以上、シオラン、作家・思想家。流行をいつまでも追ってばかりだとそれはかっこわるいよね。もう一つは独りでいることに酔わないための箴言)

◎あどけなさ (artlessness n.) 魅力あるある種の性質であって、女性たちは長期にわたって研究に研究を重ね、かつ自分たちを賛美する男性どもを稽古台にしてきびしい訓練を積んで初めてこれを身につけることができるのであるが、一方男性どもは、この性質が若かりし日の自分たちに見られたあの誠実な純真さに似ていると想像してご満悦なのである。
(ビアス、ジャーナリスト。男女によってこれほど意味の変わる言葉もそう多くないだろう。)

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ためらいの倫理学/内田樹

『ためらいの倫理学』『おじさん的思考』この2冊が
内田樹さんの著作のなかでは抜群に面白い。
丁寧な筆致で書かれた卓見は
思わず唸ってしまう程だった。(今はというと……)

この2冊は良書。特にこちらは文庫化されているので
手に取りやすいと思う。


『ためらいの倫理学』で示されていることは実に分かりやすい。
要するに「ためらえ」、ただそれだけのことだ。
わたしたちが情報を得るとき、真っ先に目に飛び込んでくるのは
声の大きい人の意見だ(当たり前か)。

そして、BBSやblog、SNS等で語られる素人の主張のほとんどが声の大きい人たちが
述べた主張のコピペだったりする。複数の書籍を読んで止揚される自分の意見、もしくは
経験から出てくる卓見っていうのはなかなかお目に掛からない。
特に、いわゆる「右」の人の「左」批判はマニュアルがあるかのように統一されている。
だからこそ団結しやすくもあるんだろうけど。

全体的なムードや言説に対して客観的に眺める知的冷静さは熱狂的になっているときにこそ
求められるものだから、自分一人で冷静になれる意識が必要だし、流されないように
知識を拡げていく努力も必要だ。

って誰でも思いつくような陳腐な意見なんだけど、陳腐であるがゆえにすぐに忘れてしまうのも
また事実だ。だからこそ、当時の内田さんの「ためらう」ことの主張は千鈞の重みがあった。
当時の内田さんは今と違って声の小さい側で、それ故の鋭い意見があった。
この本では誰彼構わず批判している。高橋哲哉であったり、宮台真司であったり、
上野千鶴子であったり、非常に面白い。

自分の評判に傷が付かないからの蛮勇さがあった。今は声の大きい側に入っちゃったから
そういう行動は取れない。現に彼のblogも与太話が多くなり、キレもなくなった。
多忙と権威を持っちゃったことで彼に降り掛かるものが多くなったんだろうなぁ。

最後に。
さっきは声高な言説に対して「ためらえ」と言ったけど、『ためらいの倫理学』に対しても
「ためらう」必要はある。そして、このblogも読んで注意しなきゃいけないところがある。
それはこのblogに対して「ためらう」ことじゃない。
答えを言ってしまえば、このblogは「ためらい」について語ったけど、
「倫理学」の部分は書いてない。「倫理学」のところは是非読んでみてご判断を。
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灰色のピーターパン―池袋ウエストゲートパークⅥ/石田衣良

人間は機械じゃないから1か0で区別なんかできない。
誰にだって黒い部分を持っているし、また白い部分を持っている。
だからどんな人であっても一面的に観ちゃいけない。


っていうのを「灰色のピーターパン」って名付けする辺り、
センス良いなぁと思った。


意外な方法で商売する小学生の第1話。兄の敵が実は被害者でもあった第2話。
幼児性愛を疑われる保育士がその疑いを晴らす第3話。警察権力VS悪質風俗店の第4話。
どれも複雑に入り交じった善と悪や人間関係が描かれていて面白い。

個人的に面白いと思ったのが第4話の「池袋フェニックス計画」、
リアリティがあったのは第3話の「駅前無認可ガーデン」でした。

メンバーが固定化されているので以前のような真新しさはもうないけど、
その代わり人と人が関わる深みがストーリーに現れていて面白いや。
これからも単行本で買っていくシリーズだろうなぁ。

余録
読み終えたあと、本の間に挟まれていた「ニコリ『数読』」にはまっちゃったよ。

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きもちわるい

・Aさんは悩んでいる(どうしてうまくいかないんだろう)
・パートナーは脳天気で話にならない(私だけがこんなに悩んでる!)
・友達の友達ぐらいの関係のBさん登場(何よこの人? 《半信半疑》)
・Bさんは全能(すごい! この人!)
・BさんはAさんを全否定する(こんな人が否定する私って何て駄目な人間)
・Bさん何か提案する(こんな駄目な私にも親身になってくれてる。でも……)
・BさんAさんの不安を察知。すかさず突き放す(少しでも疑った私って何て馬鹿)
・Aさん反省し、Bさんの提案を実行(これをやらなきゃ私はおしまいだ)
・Aさん一気に悩み解決(よかった。これもBさんorBさんが紹介してくれた物のおかげ)
ここのタイミングでBさんと再会したなら、Bさんは打って変わって全肯定する。
・ついでに家族orパートナーにも幸福訪れる(これも××の効果よ!)
・みんなhappyみんな万歳(私たち××で幸せになりました)


こんなのが流行ってるんだってさ。(検索にも引っかかりたくないよ)
オウム事件から10年以上経ってるし、こういうのに対して耐性が無くなってきてるのかな?
他にも
これ

これとか
http://pastlog.fc2web.com/dqnfemale/886.html

うさんくささ大爆発して辟易したよ。でも、こういうのがウケて書籍として出され、売れてしまう
世の中っていうのは、逆説的に住みにくいなぁ。いわゆる幸福の逆説ってやつ。
みんな「そっち」に向かって行っちゃうから恐い。例えば電車のラッシュアワー時の開いた扉で
一人逆走するようなもので、自分は動けない(=沈黙を余儀なくされる)し、
もし動いたら邪魔だ・ふざけんなと叩かれる(=うかつに発言してブログ炎上)。
「レミングの死の行進」のようで笑ってられないんだけどね、こういう状況は。

佐藤卓己さんの『現代メディア史』という本に「将来的にネット宗教が流行する」と書かれていた
んだけど、もう既にそういう流れは出来ているよなぁ。気をつけないと。
(余談だけど、佐藤さんが最近上梓された『メディア社会―現代を読み解く視点』という
新書は良い本ですよ)

この手の感動話&戒め話はたとえその話を批判していてもPRに加担しているからね。
「なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである」と
ニーチェが語っているように書き手は注意しないと。だからこんな風にぼかして検索に
引っかからないように書くが一番。

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第135回芥川賞候補作発表

【芥川賞候補作】
伊藤たかみ(35)「八月の路上に捨てる」=文学界6月号
鹿島田真希(29)「ナンバーワン・コンストラクション」=新潮1月号
島本理生 (23)「大きな熊が来る前に、おやすみ。」=新潮1月号
中原昌也 (36)「点滅……」=新潮2月号
本谷有希子(26)「生きてるだけで、愛。」=新潮6月号

こんな偏った芥川賞も珍しいなw
矢野編集長も嬉しい悲鳴をあげてそうだ。
でも、伊藤たかみが受賞したらそれはそれで面白そうだな。

以下自分の予想とコメント。
本谷さんは前回の松尾スズキさんみたいな感じ。つまり演劇枠。これはご愛敬。
島本さん……彼女がなぜ選ばれたのかいまいち不明。例えば佐川光晴さんや青木淳悟さん
辺りを入れておけば、面白かっただろうに。この二人が真っ先に外れると思う。
鹿島田さんは微妙。この人の作風で芥川賞はどうなんだろうか。個人的には好きなんだけどね。
中原さん、この人の人間性は大嫌いだけど今回の本命なんだろうなぁ。受賞してもしなくても
納得できるや。
伊藤さん、この人の作品は読んだことないからコメントできないや。ただ前回の絲山さんのように
文春が特別この人を厚遇しているわけじゃないから(文藝賞出身だしね)強く推されることは
なさそうだなぁ。

雑感としてはこんな感じ。というわけで、
本命◎は中原昌也「点滅……」、
対抗○は伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」
穴△は鹿島田真希「ナンバーワン・コンストラクション」

と、予想してみました。発表は13日。どうなるんだろう、いやはや。

ちなみに直木賞はなげやりに予想して、森さんと古処さんのW受賞でいいんじゃないかな。
文春枠と男の読書枠。伊坂さんは惜しまれつつも次回受賞の方向で。
伊坂さんを受賞させるにはまだ作品が足りないんだよね。直木賞はエンタメだから、
一個の作品だけじゃなくて、作家の全作品を売らせないといけないからね。

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散歩するつもりはなかった

本当は、古本めぐりをするはずだったんだけれど、
全部閉まってて散歩になってしまいました。うぅ……。
第一第三日曜は休みだったのか……知らなかったよ。

カフェで一息ついて、フラペチーノの甘味に酔いしれながら
『灰色のピーターパン IWGP Ⅵ』読了する。
あとでブログに感想書こう。

美容室に行って、髪切って、ついでにシャンプー&トリートメント買ってきた。
普段愛用しているのはCOTAなんだけど(こっち参照)
たまには違うのを、というわけでAUFHEというのに変えてみました。
まだ使ってないけどどんなだろう。

夏だね、何処に行っても人、人、人。
わけもなくワクワクするよ。

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笑いのツボ

ダメだ。何回読んでも、同じところで笑っちゃうよ。
いや、何がかって言うと、『ハチミツとクローバー』

普通のギャグシーンはクスリ程度のニヤニヤ顔しちゃうぐらいだけど、
唯一、「お父さんの似顔パンじゃなくて、お父さんの焼けこげた頭部」
ってところはイカンです。友達ん家で読んで、一人で涙目になってゲラゲラ笑ったよ。

おかげさまで腹筋ついたよ、いやはや。

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スティルライフ/池澤夏樹

 この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
 きみは自分の側に世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

 印象的な冒頭文は読み返す度に気持ちをぞくぞくさせる。タイトルが示すよう、ストーリーは
静かに、そして動かずに進行する。正確に言うなら、主人公たちは静かに動かず行動している。

人と人が関わらないために無機質な展開が続く。二人は極めてクールに酒を交わしながら
会話し、それでいて関係が濃くなるわけではない。「ぼく」も「佐々井」も後腐れなく別れる。
二人はいつも通りの日常に戻るだけ。何とも奇妙な友情。

淡々と押さえた筆致は、また、静かな印象を与えるだけではなく、美しい日本語を
創り上げる。

 雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、僕を乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真ん中に置かれた岩に座っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。

 奇しくも文庫版の解説者と同じ所を引用してしまったが、それはよく練れたいい文章が
誰の目にも留まるからだろう。気取っている文章とはいえ嫌な感じがしない。名文です。

雨や雪の日にそっと取り出して静かに読んでみたい……そんな小説です。
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