Reading Tour

よく停滞、時に更新、きままな読書系ブログです

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8月も今日で終わり

先週末から妙にアクセスがアップしている。
目的は明らか。
でもそのほとんどが一見さん。
うぅ……。

昨日・今日をピークに多分ここに来る人も減ってくるだろう。
ガンバレ中高生。読書感想文のヒントはあるかもしれないけど、
丸々コピペするものはここにないと思います。

昔、お世話になった大学教授が言ってたけど、
学生のレポートを読むために添付ファイルを印刷したら、
色つきの文章がプリントアウトされてきたそうです。
PC上で見ると黒文字だけど、いざ印刷すると色つきになるという。

さて、ここでニュース。

大半は竹内結子復帰を伝えているんですが、
長島有ファンに朗報。
「サイドカーに犬」映画化
http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20060831-83237.html

これが映画って地味な気もするけど、監督さんにはがんばってもらいましょう。
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結構難しい

ペプシのゲーム
http://www.pepsi.co.jp/special/game.html

四~五回やってやっとクリア、ふぅ。


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味覚そして美味しいたべもの

データは偏っているものの、まずはこちらをご覧いただきたい。
加齢と味覚感度の甘い関係
http://www.mbcl.co.jp/column/0211k.html

つまり、
味覚は歳を取っちゃうごとに失われていく感覚である。
この事実はわたしが予備校生だったとき、国語の講師から聞いていた。

だから大学生になったとき、グルメに走った。
たべものを美味しいと感じるには、美味いものを食べてその感覚を経験として
覚えていかなねばならない。

都内の有名どころ、情報を集めて友達連れて行ったり、
恋人と行ってみたりなどなど、大学生のくせにやたら詳しかった。
美味しいもの食べたついでに、そういう場所での振る舞い方も覚えた。
「空気」の読み方を覚えた。今でもそれは糧になっている。

美味しいものを「美味しい」と感じ取れないのは不幸以外の何ものでもない。
今でも、南麻布の某ダイニングバーで食べたフォアグラの衝撃は忘れられない。
東麻布の某中華で食べた北京ダックは思い出しただけでたまらない。

でも難点がふたつ。
ひとつはお金がかかる。これはどうしようもない。自分で稼ぐ、あるいは奢ってもらうしかない。
ついでに連れて行くパートナーも慎重に選ばないといけない。
異性と行って、勘違いされて、色々面倒なケースになることもしばしば。
ふたつ目の難点、今回こちらを重要視したいのだけれども、
名料理人が直々作ってくれること
同じ料理を作っても、料理人の包丁さばきでまったく違う味付けになる。
本当に月とすっぽん並みに味が違う。

例えば天ぷら。「てんや」レベルでも揚げる人でまったく違う。
天ぷらははっきりと差が出るから、食べ続けてみるとその違いがよく分かる。
実際、てんやで試してみると面白いですよ。

他の例として、上記に書いた東麻布の某中華で、「たまたま」不快な目にあったことがある。
偉い人による丁寧な謝罪後、同じものが作り直されて来たのだけれど、
「さっきのと同じものですか?」というくらい、格段に味のあがったものが出された。
予想するに料理長級の人が作ってくれたのだと思う。

こういう経験上、
必ずしも名店に行ったからといって美味しい料理が出されるわけじゃない
ということを学んだ。

今の日本で美味しいものを食べるには金とコネ、なければ運が必要なのだ。
グルメ番組等で、芸能人がふんぞり返って「食ってやってる」様を見ると思わず憤ってしまう。
「彼らは本当に味が分かっているのだろうか」と。

現在、格差格差と大騒ぎしているけれども、味覚の格差なんてとっくに進行している。
まず頂点に特権階級の人間。彼らは毎日奢侈の限りを尽くしている。
次いで、味に敏感な層。彼らはなけなしのお金をはたいて有名店に通うお客さま。
次が、味に興味ない層。ここが大半だと思う。自炊で味覚はある方だから、この層は別に
大丈夫だと思う。
憂うべきは味に鈍感な層。ラーメンは濃ければ美味いとか言い出す層。
単純な味付けが好きだから、ファストフード系が大好き。
若い人を中心に味に鈍感な層が増えているから、最近「食育」なんてのが
流行っているのだろう。

味覚を鍛えるには、自分で試行錯誤するしかない。
アメリカは「スーパーサイズミー」を観れば分かるようにひどい状況だ。
日本はファストフードにしろ牛丼、ハンバーガー、寿司等色々あるから大丈夫、
なんてことをしたり顔で言ってるけど、十数年後アメリカを馬鹿には出来ない状況が
日本を取り巻いててもおかしくはないと思う。
味の分からない人間が増えれば、味の多様性を求めるよりも一元化したが効率的だろう。

退っ引きならない状況に置かれた人間が生き延びるために知恵を振り絞って
作り上げてきた文化(=広義の文化、ちなみに日本文化とかファッション文化
というのは狭義の文化という)を日本は現在進行形で破壊している。
わたしたちはそれを目の当たりにしているまことに幸福な世代といえよう。

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おやおや

駒大苫小牧快挙夏3連覇
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4817253150/

マトリックス空間だとどうやら駒大苫小牧は三連覇したらしい。
祝杯!

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こころ/夏目漱石

高校生時に読んだとき以来の久々の再読。
若い頃に読んだ本を再読すると印象が変わる、
あるいは見落としていた箇所を読み取れる
ってことをよく聞く。

たしかに、前半部分で読み落としていた箇所はあったものの、
印象はそこまで変化しなかった。
乱読多読による読書経験からもっと俯瞰的に読むことができるようになった
というのは印象が変わるとは意味合いが違う気がする。

わたしが今回、殊に感じたのは『ノルウェイの森』は『こころ』をふんだんに取り入れているな
ってことだった。再読して気付いたことで分かっている人にはとっくに分かっている話だろうけど、
類似点をあげてみようと思う。

気付いたのはこういう点。
・Kとキスギ
ともに自殺した&イニシャルが同じ。ついでに「私(watashi)」と「ワタナベwatanabe」
もイニシャルが同じ。流石にこれはこじつけに近いけれども。

・Kと永沢さん
Kのセリフ「精神的に向上心がないものはばかだ」

永沢さんのセリフ「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
は意味こそ違うものの、ともに強者が言い放つセリフという点で一致している。

・似たセリフ
『こころ』……上の四章で「先生ははじめから私を嫌っていたのではなかったのである」
『ノルウェイの森』……第一章の最後「直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ」

・ホモソーシャル的なストーリー
『こころ』は弱者である「先生」が強者である「K」に対して「静」を奪い取ることで
「俺(=先生)はお前(=K)よりも強いんだ」的な男性社会特有の優劣を競っている
ホモソーシャル的な作品だ。『ノルウェイの森』もワタナベとキスギが
ホモソーシャル的な競い合いをしている。
詳しくはこれそれあれどれを参照して下さい。

・過去を語っている現在の主人公
『こころ』……冒頭「世間を憚る遠慮」という書き出しから「私」が何らかの手段で
世間に公表している。
『ノルウェイの森』……一章開始後すぐに「僕はこの文章を書いている」という文より
どちらもある程度時が経った後、自分の過去を語っている形式。

その他に『ノルウェイの森』とは関係なく気付いた点といえば、
・「私」は「静」と結婚して子供を儲けている
八章「子供を持ったことのないその時の私」という文章から、現在の私には子供がいる
可能性が高い。そして「静」と結婚していることが分かるのかというと、三十一章で
先生の信頼を得る所や三十四、三十五章辺りのやりとりから判断できる。

以上、こういった解釈は大学の学部レベルの話だけど、
わたしは文学部でも国文学科出身でもないから、単純にこうした発見を読みながら
確認できたことにすごい喜んでしまった。
三十代や四十代になってから、『こころ』は再読してみようと思う。
その時はどんな心持ちで読んでいるのだろうか。

追記 06/9/1
最近出た漱石の分析本で読みやすいのは
石原千秋『「こころ」大人になれなかった先生』みすず書房
です。このエントリーで書いたことをもっと知りたい人はこの本を参照して下さい。
もともとこのエントリーは石原教授の話を実際に聞いて派生させて書いたものですから。

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美容整形の流行

流行ってるのは大人じゃなくて子供。
「いま「子どもの美容整形」が急増」
http://news.tbs.co.jp/20060816/headline/tbs_headline3358850.html

「かっこいい」って価値観は本人に聞くものじゃないと思うんだけど。
いやはや母親のコンプレックスを完全に子供に押しつけてるよ。
父親も反対していないだけに同罪。
これは後々いびつな形で本人だけじゃなく家族にも降り掛かってきそうな予感。

他にも子供を整形美容する理由として
・モデルデビューを目指すため
・離婚したダンナに似ている
等々あるよう。
「ダンナ」って言ってるからには女性が美容整形に連れていってるわけか。

タイトルも面白いね。
「供」って漢字は「付随物」を連想させるから表記を「ども」とひらがなにしよう
っていきさつがあったと思うけど、皮肉なことにこのニュースに出てきた「子ども」は
本当に「子供」だね。子供も親も違う意味でだけど、かわいそうだ。

このニュースから伺えることはこれ。
手術をした方もさせた方もモラルについて、考えたこともないんだろうなぁ。

余談
かっこいいなんて主観の問題なんだから、↓みたいに自分で言ってみるのもOKよ。
http://video.google.com/videoplay?docid=-7966669273181924774

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改めて「文藝春秋」9月号がでた

昨日は「ホームステイ」と一つ屋根の下で急遽お泊まり会が開催され、
心臓の喧喧諤々とした音に悩まされ、結果寝不足のまま起床し、
後ろ髪を引かれながら「ホームステイ」を倒さず外出。
夜、ゴキジェットを購入し、帰宅し、ドアを開けると、白い壁に一点と蠢く黒い彼が
触覚を動かしながら出迎えてくれました。

それにしても、ゴキジェット強い。買ってよかったゴキジェット。

さて本題。
池澤夏樹さんと黒井千次さんの選評を興味深く読む。
池澤さんは登場人物がビョーキばかりの小説に食傷気味のようだ。
わたしも最近正統派の小説がないなぁ、と思っていただけに共感する。

黒井さんは「タイトルが長い小説ばかり」とぽつり。
「文學界」の編集後記にも同じことが書いてあった。
で、ふと思いついたのがふたつ。
ひとつは、12~3年前のJ-POPにそんな現象があったなぁって。
B’zの「愛のままにわがままに……」とか大黒摩季の「別れましょうあなたから……」
そんなのあったよな、と。

それを受けてもうひとつ、先日のブログで紹介した記事を思い出した。
危機感のない出版業界
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/08/post_4.html

検証なしの戯言として聞き流して欲しいレベルの感想だけど、
こういうのをシンクロニシティとして捉えると、
文学は今、12~3年ぐらい遅れているのかなぁと。
文学性が遅れていることと文学を取り囲む環境が遅れているのはイコールではないけど、
小説界隈に元気がないのは古くさい体質が残って、うまく時流に乗れていないのでは
と、思ってみたり。

話を戻して芥川賞選評。
山田詠美の怒りの選評は直木賞だったら許されるけど、芥川賞だったら説得力ない気がする。
彼女が言っている選出法だと、島田雅彦や村上春樹といった芥川賞を取れなかった
実力作家をまた生み出すんじゃないかなぁ。

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「文藝春秋」9月号がでた

芥川賞の選評やら何やらで色々書きたいものの、

「ハチクロ」でいうところの「ホームステイ」が出現したので

やめにします。というか逃してしまった。。。

イニシャルGに戦々恐々してます。。。

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森選手のご冥福をお祈りします

中学、高校と陸上競技をやっていて、引退して競技とまったく接点が無くなった生活を
送っていても、陸上競技関連のページはチェックを入れて頑張っている選手を応援していた。

この選手は今年調子が良い、このまま日本記録を伸ばして欲しいと思ったり、
あの選手は調子が悪い、怪我でもしたのだろうかと思ったり、一喜一憂しながら
トップアスリートたちを応援していた。

そして、今日有望だった選手が夭折してしまった。
訃報:森千夏さん26歳=女子砲丸投げ、アテネ五輪代表

低迷していた女子砲丸投げを、00年の日本記録更新を皮切りに7度更新。04年の
アテネ五輪では砲丸投げの選手として40年ぶりの出場をはたす。
陸上競技を盛り上げてくれた選手の一人だったと思います。
病に倒れなければ来年の大阪世界陸上、再来年の北京五輪の候補選手として
期待がかかっていただけに、本当に惜しい人を亡くしてしまった。

森選手の訃報に関し、色んな方がHPやブログでコメントしています。
東京高校(森選手の母校)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~makenki/
為末大選手
http://tamesue.cocolog-nifty.com/samurai/2006/08/post_202d.html
澤野大地選手
http://polerda1.blog24.fc2.com/blog-entry-31.html

寺田辰朗さん(陸上競技ライター)
http://www.ne.jp/asahi/rikujouweb/terada/

その他にも、今期女子走り幅跳びで日本記録を更新した池田久美子選手は
スズキで森選手の同期でもあり、森選手の様態を気にしていた一人でした。

26歳なんてスポーツ選手だと、肉体・精神・技術いずれも円熟の極みに達し、これから
記録を伸ばしていく頃だけに本当に惜しい逸材を日本陸上界は喪ってしまいました。
やるせない、あまりにもやるせない。
謹んでご冥福をお祈り致します。

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暑気中りなこの頃

どうも。夏バテなのか、文字が読めないくらい集中力を欠いています。
八月になってまだ一冊しか本読んでません。参ったね、こりゃ。

さて――
気になる記事発見。
危機感のない出版業界
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/08/post_4.html

このままズブズブと堕ちていったら、読者も困っちゃうわけで。
どうなるんだろう。

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速読と精読

 とあるブログでものすごい勢いで本を読んでいる人を見かけた。
わたしは精読派なので、ただただ感心するばかりだったんだけど、
自分も速読できなくもないので、今日はわたしの速読法&精読法について
書いてみようかと思う。

◎速読について。
とばし読み、と言うかもしれません。
ポイントは
・記号化して読む
・ある一点にしぼって読む
・今までの読書経験で先を予想しつつ読む
の三点。

・記号化して読む
これは固有名詞をすべて普通名詞化して読むってことです。
小説の場合、登場人物なんか覚えず、主人公なら主人公と覚えて読む。
こいつは敵、こいつは味方とかこいつは男、こいつは女として読んでいく。
新書等の論文の場合、著者は+の意見を書いている、-の意見を書いている、
主張を書いているという風に読んでいく。

・ある一点に絞って読む
ストーリーの流れを追っていくことに主眼を置いて、心理描写は喜怒哀楽を
確認しながら読んでいく。逆にしても可能。つまり、心理描写だけを追っていき、
ストーリーは起承転結を意識しつつ読む。
論文の場合は、完全にとばし読みになるかな。著者の主張だけを追っていく。-を書いている
ところや他の論文の引用、具体例は完全に無視して読んでいく。

・今までの読書経験で先を予想しつつ読む
例えば「この戦争が終わったら、俺結婚するんだ」という文があったなら、
こいつは死ぬんだろうなぁと思いながら読む。もしくは、作者がそういうパターンを
把握してひねってくると予想しつつ読む。
論文の場合は、例えばその著者はアンチフェミニズムの論客として知られているから、
この本の中でフェミニズム批判をするだろう、と思いながら読む。

わたしの速読法は大体こんな感じです。
試しに昨日買ってきた『時をかける少女』の中の一編「時をかける少女」で速読をやってみたら、
10分で読了しました。全部で108ページだったので1分辺り約11ページで読んでいる
ことになります。

◎精読について
精読は精読なんだから書きようもないけど、強いて書くなら
・作者の癖に気付く
・あるフレーズや単語の同形反復に気付く
・線を引く

・作者の癖に気付く
例えば、村上春樹なら「やれやれ」をどこかで書くからそれを期待して読む。
あるいはどこかで必ず良いこと(読者によっては説教臭いと思うところ)を書くから
それを期待して読む。
論文の場合は論旨展開になるのかな。読んでいく内になるほどの回数が増えていきます。

・あるフレーズや単語の同形反復に気付く
孤独とか淋しさとかそれを表す比喩表現が各章各章に出てくるなぁとか、
独特の言い回しに感心しながら読む。
論文の場合は主張1、主張2、主張3と同じ主張を違う角度から繰り返し書いている/どんどん
掘り下げて説明していくので、それに気付くと、すらすら読めるようになる。

・線を引く
自分の場合は気に入った箇所に鉛筆で線を引いたり、パラグラフ全体を「⌒」みたいに包むのと、
ダメだと思った箇所に線を引いて、その上に×と書いています。
論文の場合は二通りあって、著者の主張や価値観に同意出来るところに線を引くのと、
各章の主張部分に線を引いています。後者の場合、読み返したときに主張だけを
追っていくので、復習的な効果があります。

精読をやってみると本の質によりますが、小説や新書の場合、
一時間に150~200ページ程度、普通の論文や文庫だと、一時間に100ページ程度、
硬質な文体の論文や古典、洋書だと一時間に30~50ページ程度で読んでいます。

このブログ主はこんな読み方をしているよっと、参考になれば幸いです。

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